西武・武内夏暉は公立校からいかにして新人王投手へと成長したのか 叩き出した驚愕のデータ
「夏前に1年生チームで練習試合に行く時に、福盛監督から『武内を1イニングだけ投げさせてみてほしい』と連絡を受けまして、投げさせたら、やっぱり違いましたね。球が"垂れる"ということがないんです。まだ本格的に投手を再開する前でしたけど、ものすごく印象に残っています」 信じられないデータがある。武内は高校時代、最速は130キロとそこまで速いスピードボールを投げるわけではなかったが、打者が思いのほか差し込まれて空振りや凡打するケースが多く見受けられた。 理由は、打者の手元でも失速しない直球にある。ある時、スピードガンの表示を見ると、初速、終速ともに「129キロ」と表示されていたというから驚きだ。 投げ放たれたボールは、空気抵抗によって速度を失うため、大体の投手は初速と終速で10キロほどの差が出る。この差が少ないほど、打者にとっては球速以上の「伸び」を感じる。プロ入り後、直球の最速は154キロまでアップし、額面どおりの勢いをキープしたまま、ベース板の上を通過する。並み居る強打者が差し込まれるのも納得できる。 【4番を任されるなど打撃も非凡】 1年秋には4番も任されるなど、打撃も非凡なものがあった。ただ、福盛監督が本人と話し合い、2年春からは投手のみに専念することになる。 「4番を捨てましたね(笑)。ただ、投手はある程度揃っていたので、無理をして投げさせる必要はありませんでした。そこからは2年秋の大会を想定しながら、(八幡南高が所属する)福岡北部地区のチームとの練習試合には投げさせず、南部地区や県外のチームにしか投げさせませんでした。遠征に行った時も、相手チームの監督さんから『この子はいいね』と言ってもらったりしていました」 2年夏の北福岡大会は、1回戦で自由が丘高に敗退。武内も9回一死から3番手でマウンドに上がり、2安打こそ浴びたが、打者2人を抑えた。わずか1イニングにも満たない登板だったが、たしかな爪痕を残すことはできた。
「その試合が終わったあとに、大学の関係者から電話をいただいたりしました。見る人が見たら、よさがわかるんでしょうね」 福岡の八幡南高に大型の左腕がいる──。評判は瞬く間にプロのスカウトの知るところとなる。初めてエースナンバーを背負って臨んだ2年秋の福岡大会。4回戦の真颯館高戦、1対3で惜しくも敗退したが、好投を見せた左腕を視察する関係者も次第に増えていった。 つづく>>
内田勝治●文 text by Uchida Katsuharu