原発問題への変節、河野氏と立憲民主党を比較する
<河野氏の「政治的」変節?>
それはともかく、政権を離れたあとの民主党は大きく変節し、そのまま立憲民主党になっても依然として原発ゼロという立場を続けています。そこには極めて大きな飛躍があり、また、有権者の感情論を票にしようという露骨な計算があります。菅直人内閣の原発推進と比較しても、また事故当時の枝野氏の事実に立脚した対応と比較しても、実に安易で飛躍した変節だと思います。 ここまでの比較ですと、河野太郎氏の変節には連続性があり、何よりも2011年の事故の際に同時進行で有権者にレポートを書き続けた際に活かされた、理論と知識に基づいた議論の姿勢は変わっていないと言えます。その一方で、立憲民主党の変節は、どう考えても飛躍があります。 ところが、ここへ来て自民党総裁選が佳境を迎える中で、河野氏は、原発への消極姿勢から更に立場を変えて「電力需要の急増に対応するために原発の再稼働を含め、様々な技術を活用する必要がある」と語りました。更には原発のリプレース(建て替え)の選択肢にも理解を示しています。理由としては、膨大な電力を必要とする人工知能(AI)やデータの時代になったことを挙げているのですが、大きな立場の変更であることは間違いありません。 AIに関しては、がんじがらめの日本の著作権解釈の中では、そもそも原発を必要するほどのビッグデータが集まるのかという問題があります。それはともかく、AIの中で最も知的付加価値を生む部分というのはデータを蓄積するハードではなく、応用研究やアルゴリズムなど、省エネ産業のはずです。ですから、この論理は少々「こじつけ」に見えます。そう考えると、今回の変化は政治的な計算に基づく変節、飛躍だということができそうです。 現在の立憲民主党が政権当時の姿勢から変えてきた、全く連続性のない変節と、河野氏の今回の政治的とも言える変節のどちらに良心や一貫性があるのか、この政治の季節に比較をすることは重要だと思います。
冷泉彰彦(在米作家)