最高倍率3000倍超…「習近平にすべてを捧げれば一発逆転できる」中国の就活生が殺到する"超人気職業"とは
中国は伝統的に出世と勉強が深く関係している。紀実作家の安田峰俊さんは「かつての中国では『科挙』と呼ばれる官僚の登用試験が行われていた。現代においても大学受験の競争が過熱しているが、本当に競争が熾烈になるのは大学受験後が終わったあとだ」という――。(第1回) 【写真】中国の書店で山積みになっている「中国版共通テスト」の参考書 ※本稿は、安田峰俊『中国ぎらいのための中国史』(PHP新書)の一部を再編集したものです。 ■「進士」になるのは博士号を取得するより難しい 科挙の受験者はまず、童試(どうし)と呼ばれる三回の地方予備試験に合格することで、生員という身分を与えられる。生員は形式上は学生だが、すでに庶民とは別格の知識人として認められる身分である。 次におこなわれるのが、各地の省都で通常3年に1回開かれる最初の本試験・郷試だ。こちらは、貢院(こういん)と呼ばれる受験専門施設に1万~数万人の生員が集まり、40~90人ほどが合格する。合格者は挙人(きょじん)と呼ばれ、この身分の時点で非常に尊敬される立場になる。 次の試験が首都の北京でおこなわれる会試(かいし)だ。地方から1万数千人の挙人が集まって3回の筆記試験をおこない、数百人が合格する。これを突破すると皇帝が試験官を務める殿試に進むが、殿試では不合格者を出さない不文律があり、実質的には状元以下の順位を決めるイベントである。 すべてに合格した人物は進士(しんし)の称号が与えられた。進士はかつて、英語で「ドクター」と訳されていたが、称号を取得する難易度はおそらく博士号よりも高い。近年は進士に「presented scholar」(恩賜(おんし)の学者)という訳語を充(あ)てることが多いようだ。
■「富も豪邸も美女も高い身分も、書物のなかにある」 科挙に合格して進士――。どころか、予備試験を突破して生員になるだけでも、四書五経をすべて暗唱し、さらに歴史や詩文の膨大な書物の内容を自分の血肉にするほどの、非人間的な猛勉強が必要になる。 余談ながら、清末に太平天国の乱を起こした洪秀全(こうしゅうぜん)は、予備試験に落第して生員にすらなれなかった人物だ。また、科挙は制度のうえではあらゆる階層の男性に受験資格が認められていたが(売買春関係者など少数の例外はある)、一族の若者を生産活動に従事させることなく受験勉強に打ち込ませるには多大な財産が必要となり、両親や親族の負担は大きかった。 ならば、どうして当時の中国人はこの試験地獄を甘受したのか。答えは簡単で、猛勉強の末には苦労が割に合うだけの見返りがあると考えられていたためである。 「富も豪邸も美女も高い身分も、書物のなかにある。男子が志を得たいならばひたすら勉学せよ」とは、中国の民間で流行した『勧学文』という詩の大意だ(作者は宋の真宗(しんそう)に仮託されている)。かつて日本には「グラウンドにはゼニが落ちている」というプロ野球監督の言葉があったが、伝統中国の場合は「書中にはゼニが落ちている」ということになるだろうか。 ■中国の政治家には「教養人+経営者」の素質が求められる そのため、たとえ個々の家庭は比較的貧しくても親戚同士(宗族(そうぞく))で学資を出し合い、一族の出来のいい子どもに科挙を受験させて官界に送り込む事例も多くみられた。 事実、科挙に合格すれば最上級の文化人として尊敬されるのみならず、官僚になればさまざまな役得ゆえに財産を築ける。仮に官途を諦めたり、挙人や生員で受験をやめたりしても、郷紳(きょうしん)(地域の有力者)として敬意を払われ、一族全体の地位も大きく向上する。このような、政治力と経済力を併せ持った知識階級は士大夫と呼ばれた。 ちなみに近年の日本の場合、社会のリーダー層における政治・経済・学問のトップは、それぞれ分離しているのが普通である。たとえば、学界の重鎮である研究者が庶民と変わらない生活をしていたり、政治家や上場企業の社長が教養分野に無関心だったりするのは、よくある話だろう。 だが、科挙と士大夫の伝統を持つ中国の場合は、これらの三要素をすべて併せ持つ人間こそが一流の人材だ。特に政治指導者については、学識が高いほど好ましい人物だとみなされる教養主義が根強い。もちろん、そうした文人政治家にはカネも勝手についてくる。 たとえば、往年の江沢民が中国各地で盛んに揮毫(きごう)をおこない、英語やロシア語など外国語能力のアピールを好んだことや、中華民国(台湾)の総統だった李登輝(りとうき)が日本文学の素養や岩波文庫の蔵書量を誇っていたことは、中華世界の士大夫的な権力者像を多分に意識した言動だったと考えていいだろう。