自分の店は後回しでもふるさとの復旧を…解体業者の宿泊拠点で食事を提供する男性の思い
能登半島地震の被災地では住宅などの解体工事が本格化し、宿泊拠点を設けて長期の作業にあたる業者もいる。ふるさとの復旧に尽力してくれる解体業者においしくて温かい食事を食べてもらおうと、宿泊拠点で腕をふるう男性を取材した。 自分の店は後回しでもふるさとの復旧を…解体業者の宿泊拠点で食事を提供する男性の思い
地震発生の翌日から炊き出しを開始
5月、石川のスーパースター松井秀喜さんが被災地の子供たちを招いて開いた野球教室。その会場で飲食ブースに出店していたのは、穴水町で飲食店を営む新出洋さんだ。 新出洋さん: 「穴水から来ました」 松井秀喜さん: 「遠くから。おいしそう」 新出洋さん: 「僕、中学生の頃にずっと甲子園に応援に行っていたので、やっぱり嬉しいですよね」 新出さんは能登町出身で穴水駅前にある飲食店のオーナーシェフ。「おいしい料理で幸せな気持ちに少しでもなってくれたら」その思いで、能登半島地震が発生した翌日には炊き出しを開始。町内の飲食店とも手を取り合って、食を通して町を支えてきた。 炊き出しに奔走する一方で、新出さんの店は再開が見通せない状態が続く。そんな中、新出さんのもとにある依頼が届いた。金沢市の解体業者、宗重商店が穴水町に宿舎を備えた活動拠点を作ることになり、そこでの食事の提供を新出さんにお願いしたいというのだ。県内各地で公費による解体作業が本格化する中、奥能登では作業員の寝泊まりする場所が課題となっていた。そこで宗重商店は、使われていない町の施設を借り受け宿泊場所を確保したのだ。 宗重商店・宗守重泰社長: 「何にも無かったんですよ、穴水って。泊まるところ、食べるところ。町営住宅も空いていない、空き家もない、そもそもホテルや民宿もない。どこで寝て仕事したらいいんだろうと。」 この施設も町役場から危険と言われたが、自分たちで改修することを条件に借り受けた。補強は簡単な作業ではなかった。ガスもお湯も使えない。電気も通っていないので発電機を用意し、エアコンもすべて付け替えた。 20年以上の付き合いという宗守社長から相談を受けた新出さん。能登の為に力になれるのならと、自分の店の再開は後回しに宿泊拠点で食事を提供する仕事を引き受けた。 新出洋さん: 「来週は50人。その次は75人、100人って感じでだんだん宿泊人数が増えてくるので、今の段階でしっかりしたオペレーション作りをすることが大切」 朝と夜、決められた時間内に決められた数の食事を提供しなければならない。盛り付けも重要だ。新出さんは新たに雇ったスタッフと共にオペレーションの確認を重ねる。「仕事を失った人も自宅を失った人もいる。復旧、復興の1つの手助けになれれば」という思いから地元の人を雇った。スタッフはほぼ未経験者。盛り付ける量やルールを明確化し、日によってばらつきがでないようにした。 記者: 「働いている方は能登の方?」 新出洋さん: 「そうですね。実際、地震で仕事を失った方だったり、自宅が壊れて仮設住宅に入っているスタッフもいる」 スタッフ: 「元々はお客とお店の人という関係だった。地震の前はスーパーの夜間店長をやっていた。ずっと3カ月ぐらい仕事していなかったけど、動き出したら楽しさがある」 記者: 「起業に驚きましたか?」 スタッフ: 「最初はね。でもやる方だなと思いました。発災直後の大変な時期にも皆さんに食事を振る舞ったりすごくいい方です」 5月8日から食事の提供が始まった。その名も「みんなのチカラ食堂」初めての夕食時、作業員たちの反応が気になった新出さんは食堂に顔を出した。「どうですか初めての晩御飯は?」返ってきたのは嬉しい反応だった。 作業員: 「コンビニとレトルトが毎日のルーティンだったので、温かい食事は久しぶりでめちゃくちゃおいしい」 「最初はIH調理器が2個あったが、両方使ったら電気が全部飛んでしまう状態からスタートした。自分的にはおかずもいっぱいでちゃんと栄養管理されているなと思うので嬉しい」 解体作業が本格化すると共に、作業員の人数はどんどん増えている。提供人数が多いため、手の込んだ食事は出せないが、新出さんには料理人としてある思いがあった。「少しでも状態の良いもの。もちろんおいしくて温かいものを提供したい。」この仕事を続ける限り、自分の店を再開することはできない。それでもふるさとのために頑張ってくれる作業員にお腹いっぱいになってもらおうと新出さんはきょうも腕を振るう。
石川テレビ