カナダの歴史から抹殺された「中国人労働者」の存在…現代の華人のルーツとなった「白人至上主義」の被害者たち
北米中華、キューバ中華、アルゼンチン中華、そして日本の町中華の味は? 北極圏にある人口8万人にも満たないノルウェーの小さな町、アフリカ大陸の東に浮かぶ島国・マダガスカル、インド洋の小国・モーリシャス……。 世界の果てまで行っても、中国人経営の中華料理店はある。彼らはいつ、どのようにして、その地にたどりつき、なぜ、どのような思いで中華料理店を開いたのか? 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 一国一城の主や料理人、家族、地元の華人コミュニティの姿を丹念にあぶり出した関卓中(著)・斎藤栄一郎(訳)の 『地球上の中華料理店をめぐる冒険』。食を足がかりに、離散中国人の歴史的背景や状況、アイデンティティへの意識を浮き彫りにする話題作から、内容を抜粋して紹介する。 『地球上の中華料理店をめぐる冒険』連載第9回 『日本の中華とは一味違う? カナダで出会った米国“風”中華は「残り物」から生み出された驚きの料理だった! 』より続く
移民に任された危険な仕事
1858年、カナダのブリティッシュ・コロンビア州フレイザーバレーで集まった砂金取りや金採掘者に使用人として使ってもらおうと中国からの移民が今のカナダ領に初めて到着した。その多くは、カリフォルニアのゴールドラッシュが終焉を迎えてカナダへと北上してきた人々だ。中国人移民労働者は、米国のサンフランシスコを「旧金山」、カナダのブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーを「新金山」と呼ぶ。 1881年から1884年にかけて大陸横断のカナダ太平洋鉄道を建設するため、広東省で1万7000人を超える中国人労働者の募集があった。フットワークの良さと勤勉さが重宝されて雇われるが、山にダイナマイトを仕掛けて爆破するような危険な仕事を任せられることも少なくなかった。
歴史から抹殺された中国人労働者
命を失う者も多かった。鉄道1マイル(1.6キロ)を建設するたびに中国人労働者1人が犠牲になったとも言われる。 1885年には、カナダの西部区間と中央区間がブリティッシュ・コロンビア州の山中で接続し、横断鉄道がついに完成する。その際、レールを枕木に固定する犬釘の最後の1本が打ち込まれる様子が記念すべき瞬間として写真に収められている。だが、その写真に収まったのは、全員が白人だった。中国人の姿は誰一人として見えない。中国人の労働も犠牲も努力も、歴史から抹殺されてしまった。 中国人労働者の報酬は、他の労働者の3分の1にとどまっただけでなく、鉄道の完成とともに彼らはお払い箱になった。母国に帰る術もなく、当時、中国人に認められていた数少ない職業の範囲で働き口を探さざるを得なかった。それが洗濯、料理、清掃だった。当時としては女性の仕事とされていたものばかりだ。 1885年を境に、カナダ政府は、当初は50ドルの人頭税を課し、最終的には500ドルにまで引き上げることで、中国人の移民のハードルを上げていった(訳注:19世紀後半の中国人移民労働者の日当は1ドル前後)。そのわずかな移民の道さえも、1923年の中国人移民制限法(訳注:カナダでは一般に「排華法」と呼ばれている)の可決を受けて、閉ざされることになった。 『「名前から何から、その人物になりすますんだよ」…移民が制限されていた国に中国人を潜り込ませた驚愕のやり口とは』へ続く
関 卓中(映像作家)/斎藤 栄一郎(翻訳家・ジャーナリスト)