【ジョブズも大事にしていた「つなぐ力」】創造性の3タイプ、AIはどこまで「創造的」になれるのか?
生成AIの登場は社会に大きな変化をもたらし、私たちはその利便性を享受しています。しかしその一方で、「学習型のチャットボットが差別的発言を繰り返す」「採用人事で男性に優位な判定を下す」「著作物を無断で学習データとして読み込む」「偽情報の生成・拡散が簡単に行われる」「膨大なエネルギー消費による環境破壊」など、生成AI社会に潜む倫理的な課題は後を絶ちません。 私たちは生成AI技術を通して、知らず知らずのうちに大規模な搾取に加担してしまっているのでしょうか。また、これからの社会で求められる倫理とはどのようなものなのでしょうか。本コラムでは生成AIが抱える問題点に触れながら、これからの社会に必要な「倫理的創造性」について迫ります。 *本記事は青山学院大学准教授の河島茂生氏の著書『生成AI社会 無秩序な創造性から倫理的創造性へ』(ウェッジ)の一部を抜粋・編集したものです。 連載第1回はこちらから そもそも創造性(クリエイティビティ)とは何でしょうか。よく聞く言葉ですが、あまり考えたことのない人が多いかもしれません。一般的にどのように考えられているか、軽く触れておきましょう。 しばしば創造性には「新しさ」がなくてはならないといわれます。独創性や新規性といってもいいでしょう。「1+1=2」「太陽は東からのぼる」と自慢気にいったとしても、そこに創造性があると思ってくれる人はいないでしょう。 やはり創造性には新しさが必要条件です。ほかの人から見て新しさが明確であれば、より創造性があると思ってもらいやすくなります。 けれども単に「新しい」だけでよいのかというとそうではありません。創造性には「有用さ」「有益性」「価値」がなければならないといわれることがあります。 たとえば「まったく意味不明な文字の並び」や「ピアノの鍵盤をデタラメに叩いたときの音」がこれまでにない組みあわせであれば「新しさ」はあるかもしれません。しかし、それだけでは「有用さ」「有益性」「価値」がないので、創造性があるとはいわないということです。(中略) 創造性については、これまで多くの研究が行われてきました。個人の創造性のプロセスについては1世紀ほど前に作られたグラハム・ワラスの4段階説が有名です(Wallace 1926)。1920年代に発表された学説で、やや大ざっぱではありますが、いまだによく参照されます。 【ワラスの4段階説】 (1) 準備 (2) あたため (3) ひらめき (4) 検証 「(1)準備」は、最初の段階であり試行錯誤のプロセスです。いろいろとミスを繰り返しながら試していく段階です。そのあとの「(2)あたため」は、孵化と訳されることもあります。取り組んでいることを一時的にストップして、それでも準備の段階で得たことを意識的・無意識的に考え続ける段階です。 創造にいたる場合は、次の「(3)ひらめき」が訪れます。新しいことを思いついた段階です。そして「(4)検証」ではひらめいたことを実行します。似たような段階説は多くあり、5段階のモデルや7段階のモデルもあります。(中略)