IBF世界Sバンタム級戦で小国と岩佐が「負けたら引退」の因縁日本人対決
2人は共にプロへ進み、岩佐は2008年8月。芦屋大に進んだ小国は1年遅れの2009年11月にプロデビュー。それからも階級が近いため何度かスパーリングで拳を合わせた。 「スパーでも相変わらずやられた」(小国)「意地と意地のぶつかり合いのようなスパーで勉強になった」(岩佐)。2年半前にセレスジムで行ったスパーを最後に拳をあわせなくなったが、プロとしても互いに手の内は知り尽くしているという。小国は「こんな強い奴とやりたくない。いつか試合をするようになるとは思ってもいなかった」と言うが、1年前に、試合後、たまたま岩佐と電車で一緒になったことがあった。2人で雑談をしながら帰ったが、階級を上げていた岩佐が「いつかやりましょう。でもやるならタイトル戦で」と持ちかけてきたという。小国は「そのとき戦うかもと初めて思ったが、本当に世界戦になるとは」と運命を恨んだ。 小国は本気か冗談かわからないようなドロー防衛宣言。 「世界戦じゃなかったら8-2か9-2で僕が不利でしょ。でも、こっちが王者。そうなるとドローでいいわけだから12ラウンド中6ラウンドをとればいい。5-5から6-4の不利に変わりますわ。まあ、プロとしてはダメかもしれませんが、勝ちに徹します。僕は他力本願が座右の銘なので作戦は阿部弘幸トレーナー(元日本ミニマム級王者)にすべてを任せて、ドロドロの試合でドローにしてやりますよ」 駄洒落をかぶせた。 一方、岩佐は「一発ももらわずに美しく勝ちます」と対照的だった。 それでもセレス小林会長は「阿部弘幸トレーナーがうまい作戦を作って徹底してくるから」と警戒心を緩めない。岩佐も「グスマンに勝つなどあり得ないと思っていたけれど、ひと味も、ふた味も、僕の知っている小国さんとは違っていた。グスマン戦でも作戦を徹底していた」と、小国の成長を認めている。 小国は、そのグスマン戦をボディ攻撃で制した。左のボディアッパーでダウンも奪っている。だが、岩佐は「僕には、ボディは当たりませんよ。その距離には入らせないんで」とバッサリ。その反応を小国にふると、「たぶん、当たらないかも(笑)。サウスポーで懐深いですからね」とガックリ。 小国はケガの影響もあり、「もう一回切れたらおしまい」と、しばらく左手の小指を使ったパンチしか打てなかった。気にせず打てるようになったのは、6月に入ってからだという。ケガの功名的な成長を見い出すボクサーは少なくないが、小国は、「僕の場合、それはないっすね。女のケツばっかを追いかけたきましたから」と、またまたネガティブ発言で笑わせたが、ケガによるブランクはハンディだろう。