自民党の惨敗は役に立つ【特派員コラム】
「税金泥棒の自民党を審判する選挙にしなければなりません」 このところ通勤で利用する駅の前を騒がしていた野党候補たちの声は、31日には消えていた。日本では4日前に衆議院選が幕を閉じた。しかし、選挙が終わった後、舞台はさらに明るく照らされた場面になっている。 自民党総裁選で石破茂候補が勝利を収めたのが9月27日のことだ。1次投票では27票差で2位となり、初めて決選マウンドに上がった高市早苗前経済安全保障担当相を相手に「9回裏ツーアウトの逆転ホームラン」のような逆転劇を繰り広げた。4日後の10月1日に首相に選出され、9日に衆議院を解散、15日に選挙告示と公式選挙戦突入、それから12日間の選挙運動を経て、27日に各党が有権者から成績表を受けた。これらすべてがわずか1カ月の間に起きた。 結果は連立与党の自民党と公明党の惨敗だった。選挙前の衆議院で247議席(全465議席)を占めた自民党は191席、32席だった公明党は24席に減った。自民党単独はもちろん、連立与党で過半数を確保できなかった。「政権交替が最大の政治改革」というスローガンを前面に出した最大野党の立憲民主党が148席となり、自民党にぎりぎりまで迫ることになった。 国会議員の投票で首相を選ぶ日本では、特定の単独政党あるいは連立政党が国会の半分を占めた場合、国会議員のなかから首相を選出することができる。結果的に国政の最高運営者を決めるという点で、衆議院選挙は韓国の大統領選に似た役割を果たす。機械的に計算機をたたくと、野党から日本維新の会(38議席)と国民民主党(28議席)が自民党に背を向け、いくつかの小数政党が立憲民主党に味方すれば、2009年以来となる政権交替がふたたび可能になる。すでに30年も前の話だが、似た先例がある。「8カ月天下」で終わったが、1993年には8つの中小の野党が連合し、過半数を確保できなかった自民党を野党に追い込んだことがある。今回の選挙の過程で石破首相が「悪夢の民主党政権」と言ったことが比喩ですまない可能性がある。ただし、現実としてはひとまず自民党は国民民主党との交渉カードをまず握った。立憲民主党は日本維新の会に求愛している。 1955年に創設された自民党が69年間で与党の座を奪われたのは、わずか2回、期間にして4年ほどに過ぎない。権力の年月が長い分、恐れている人たちも多いだろう。党内からは「これからの政策遂行は地獄の道となる」という言葉まで出ているという。しかし、一党長期政権体制にひびが入ることは、普通の市民にとっては肯定的な点がかなり多いようにみえる。なにより、政治資金を裏金で作っていた自民党議員の相当数が、非公認や落選にって排除された。「税金泥棒」と呼ばれた人たちだ。石破首相が前面に出した「アジア版NATO(北大西洋条約機構)」や「核共有」のように現実性のない主張は引っ込んだ。代わりに、国民民主党の「手取りを増やす」のような政策を、与党の経済対策と追加補正予算に加えようとしている。一時は万事可能だった自民党が与党の座を維持するためには、「生活の問題から解決しよう」という国民民主党の顔色をうかがう必要がある状況だ。苦労している一部の政治家たちには申し訳ない話だが、政治が急ピッチで動いていくのは役に立つ。 ホン・ソクジェ|東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )