冷戦終結後のアジアと日本(6) 現場主義者のアジア研究―「千里の道を行くは万巻の書を読むに勝る」:石井明・東大名誉教授
香港から大陸へ「現場通い」
大庭 ご研究を振り返って、先生が大切にされてきたことを教えてください。 石井 私の学生のころ、現代中国を研究するツールは全然なかった。今では、朝6時過ぎに目を覚ましてネットを立ち上げれば、その日の『人民日報』を読むことができます。私の学生のころは、3カ月ぐらい経ってから船便で『人民日報』が日本に届くという状況でした。生の中国語を聞く機会もほとんどない。それで、短波放送の聴けるラジオを買ってきて北京放送、中国では中央人民放送と言いますが、それを聴く。でも雑音が入り、あまりクリアに聴けなかった。そういう時代だったわけです。 広い中国大陸を旅行してみたいという気持ちが強くなりました。しかし中国に行く機会がない。機会がやってきたのは1979年に1年間、香港中文大学に留学したときです。79年というと、鄧小平が改革開放政策を始めた時期です。大都市に限られてはいましたけれども、外国人が旅行、観光旅行に行けるようになった。それで79年には何度も香港から、香港人が内地と呼ぶ大陸に出かけて行ったわけです。台湾に行ったのも79年が最初です。 私の好きな言葉に「千里の道を行くは万巻の書を読むに勝る」があります(※2)。研究対象地域はできるだけうろついた方がよいと思っています。79年以来そうしてきたわけで、私は自分のことを現場主義者と称しています。 (※2) 元々は董其昌の言葉「讀萬卷書,行萬里路」。その後意味が変容して「讀萬卷書,不如行萬里路」となったと考えられる。
国境という現場
大庭 石井先生が2014年に岩波書店から出版された『中国国境―熱戦の跡を歩く』も、現場主義に従って各地を回られて体験し、お考えになったことが反映されている本ですね。また最初の単著である『中ソ関係史の研究―1945–1950』(東京大学出版会、1990年)とつながっているのでしょうか? 石井 その通りです。中ソは同盟関係から始まって、その後国境で戦うようになる。しかし、時間をかけて紛争を解決していった、そのいい例なのです。中ソが紛争を解決していったケースというのは、他の国境紛争の解決を模索する上で参考になると考えてきたわけです。 国境紛争はそう簡単に解決できるわけではない。紛争をmanage (管理)する段階と、それからsettle(解決)する段階と、2段階のプロセスとして考えなければならない。最初はまずマネジメントで、これ以上紛争をエスカレートさせない、そのためには何をしたらよいのかということを考える。尖閣の紛争もすぐに一直線に解決を目指すことは無理で、やはり事態をコントロールする、マネージする、そのためには何ができるかということを考えてゆくのが大事だろうと思っています。