冷戦終結後のアジアと日本(6) 現場主義者のアジア研究―「千里の道を行くは万巻の書を読むに勝る」:石井明・東大名誉教授
世紀交代期におけるアジア情勢:中国への期待
大庭 先生が理事長を務められていた2001年から2003年、アジア情勢をどのようにご覧になっていましたか。 石井 20世紀の終わりから21世紀の初めという時期は、中国が国際経済とのリンケージを深めていた時期でした。1999年の11月、中国のWTO(世界貿易機関) 加盟をめぐる米中交渉が妥結する。江沢民が、これはウィンウィンの勝利を勝ち取ったのだ、と言う。それまで中国には、ウィンウィンという言葉はなかった。少なくともほとんど使われることはなかった。それをあえて江沢民はウィンウィンの勝利と言った。そうすると、その場にいたアメリカの代表団が、そうではない、トリプルウィンズだと言う。勝ったのは米中だけではなくて、グローバル経済も勝者だという意味です。 当時、国際社会は中国のWTO加盟を歓迎しました。それがグローバル経済の発展につながると考えられていたわけです。加盟が正式に承認されたのは、2001年の11月、私がアジア政経学会の理事長になった頃です。その後、外資系企業が次々に中国に進出する。海外からの直接投資も大幅に増える。中国内陸部からは、膨大な出稼ぎ労働者が―「農民工」というのですが―、沿海部の製造業で働くようになる。中国が「世界の工場」と称されるようになる。 GDP(国内総生産) の伸び率が毎年10%を超え、高度経済成長期が続いたわけです。あの時期、私は中国共産党も変わっていったと思っています。02年の11月に第16回党大会を開きますが、党規約を改正して「三つの代表論」を党規約に入れます。「中国共産党は、先進的な生産力の発展方向、先進的文化の前進方向、中国の最も広範な人民の根本的利益を代表する」という主張ですが、ポイントは私営企業家の入党を認めたこと。もともと中国共産党は労働者農民の政党であり、階級闘争を叫んできた政党です。けれども、その階級政党から脱皮して、資本家を含む広範な中国人民を動員して、豊かな国をつくっていくという道を歩み始めた。 この第16回大会の初日に、『人民日報』は「時代とともに進む」(「与時倶進」)と題する社説を掲げました。時代とともに進むというのは、マルクス主義は時代が経つに従って発展していく、だから政策は時代の流れに沿って変えていいのだという主張です。要するにどのような政策変更も時代とともに進むという言い方をすれば、正当化される。そういう主張が、中国共産党の中で受け入れられるようになったわけです。 あの頃は、中国は変わっていく、国際社会と協調してグローバル経済の一員として発展していく、昔の階級闘争に囚われた政党ではなくて、資本家も党内で活躍できるようになる、そう考えて研究を進めた方が多かったように思います。今から考えれば、楽観的過ぎたのではないかという反省はありますけども、中国の変化を歓迎する気持ちは当時強かったですね。 それから、胡錦濤時代は対外的には融和的な姿勢を取る傾向があって、日中間にもいろんな問題は生じてはいましたが、それほど尖鋭化しなかった。確かに胡錦濤時代の最後の方では、軍事強国を目指すというような議論も出てきてはいましたが、それほど表面化はしていませんでした。 軍事大国化の方向に大きくかじを取ったのは、やはり2012年に習近平がトップになって以降です。それまでの中華人民共和国の歴史を振り返って、毛沢東時代は立ち上がる時代だった、鄧小平時代は豊かになろうとした時代だった、われわれ習近平の時代は強くなるのだということを、内外にはっきり宣言する。そして、実際にそれを目指して内外政策を進めるようになったわけで、習近平の時代になって変わったという面が強いですね。