冷戦終結後のアジアと日本(6) 現場主義者のアジア研究―「千里の道を行くは万巻の書を読むに勝る」:石井明・東大名誉教授
日本のアジア認識、アジアとの関係性の変遷について、歴代のアジア政経学会理事長に振り返ってもらうインタビュー企画。第6回は石井明・東大名誉教授に 21世紀初頭のアジア情勢、また「現場主義者」と称する自らの研究について振り返ってもらった。 (聞き手:大庭三枝・神奈川大教授)
戦後日本のアジア研究の展開
大庭 三枝 戦後の日本のアジア研究は大きく変化してきました。例えば、アジア政経学会は1953年の創立時には会員が50名ほどでしたが、その後1990年代の初め800人程度、今世紀に入る頃には4桁になりました。 石井 明 最初は日本在住の中国人研究者の方も若干はいたものの、ほとんどが日本人でした。それが外国人、特に中国からの留学生なども学会活動に加わるようになり、雰囲気も変わってきました。国籍を超えて、同じ研究者が議論し合えるという雰囲気が醸成されていったことは特筆に値すると思います。 また、アジア政経学会はその名の通り政治と経済を中心に、研究成果を出し合って議論する場として始まったのですけども、次第に社会も研究対象領域にし、最近では環境問題を議論する方も増えています。これもいいことです。 研究対象地域をみると、最初は大部分が中国関係で、それに若干朝鮮半島が加わるという状況でした。学会の「設立趣意書」には(※1)、中国のみならず、広く韓国、インド、その他南方諸地域におけるアジア問題の解明をするとされ、中国が冒頭に来ていて、それに韓国、インドが加わり、そして「南方諸地域」という言葉が使われている。当時「東南アジア」という言葉は日本でほとんど使われていなかった。「南方諸地域」というと、何か蔑称じみていますよね。最初はほとんど研究対象として取り上げられていなかった。しかし、東南アジアで国が次々に独立して、次第に国際社会で発言権を持つようになってくると、東南アジアを対象として研究を深めようという方が出てくるわけです。 (※1) 「学会設立趣意書(1953年)」