若い貴族と貴婦人の一夜のアバンチュール。世紀を飛び越え、過去と現在が呼応する(レビュー)
ミラン・クンデラの『緩やかさ』(西永良成訳)の舞台は20世紀末。今はホテルとして活用されている城に、妻と2人宿泊している小説家の〈私〉は、ドゥノンがこの城を背景に描いた18世紀の短篇小説に思いを馳せる。 若い貴族とT夫人と呼ばれる貴婦人の一夜のアバンチュールが描き出す、緩やかでアイロニカルな快楽の時間。それに比べ現代のせわしなさときたら! 〈私〉は城で開催されている昆虫学会を思い浮かべ、参加者たちの優雅さのかけらもない姿態を描く物語を脳内で生み出すことになる。 こうして18世紀の物語と20世紀末の物語が併走していくのだけれど、クンデラのシニカルな笑いのセンスは独特で、本作でも後者の物語でそれが炸裂。〈尻の穴〉が連呼された末に展開するプールでの一連のスラップスティックなシークエンスには呆れ返ること必至。わたしは笑いながら何度も読み返しました。
クンデラの主人公は、城に滞在することで18世紀の緩やかな時間を我がものにしたわけだけれど、コルタサルの短篇「夜、あおむけにされて」(木村榮一訳、岩波文庫『悪魔の涎・追い求める男 他八篇』に収録)の〈彼〉は事故で病院に運び込まれたせいで、とんでもない時空に飛ばされることになる。そこは、アステカ戦士の人間狩りの標的として追われる身になった世界。しかし、生々しい夢だと思いきや――。短篇の名手による幻想小説の傑作だ。
余命宣告された脚本家のリチャードが、1896年に撮影された写真に写っていた女優に会いたい一心で時間旅行を成功させる物語が、リチャード・マシスンの『ある日どこかで』(尾之上浩司訳、創元推理文庫)。作中に響くマーラーの名曲と、〈そして、愛はとこしえに甘美なり〉という言葉が示すとおり、メロウで切ない物語が伏線を回収しながら展開していく。注目すべきは過去に戻る方法で、リチャードの非科学的な試みが作品世界ではリアリティを勝ち得ているのが素晴らしい。時間旅行小説と恋愛小説双方の醍醐味が味わえる、とこしえの名作だ。 [レビュアー]豊崎由美(書評家・ライター) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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