北陸新幹線の延伸、「小浜ルート反対」でも5兆円の投資は本当に妥当なのか?
滋賀県に中京圏の便益を
これで、米原ルートの場合の現行制度に基づく自治体の費用負担が明らかになった。金額がわかれば、次の点について議論できる。 ・滋賀県は便益がないのに500億円近い負担を強いられている。 ・京都府は便益があるのに負担はゼロである。 滋賀県にとっては、米原から北陸への新幹線が開通しても、時間短縮効果はほぼない。米原から新大阪へ向かう新幹線の本数が増えるメリットはあるものの、長浜から特急が消えるといったデメリットも存在し、滋賀県としては到底承服できる状況ではない。並行在来線についてはほとんど心配はいらないので、いったん考えなくてもいい。要するに、大きなメリットもデメリットもないなかで、金だけがかかるというのが現状だ。 このため、誰かが滋賀県の負担を肩代わりする必要がある。負担がないのに多少の便益がある京都府には、ある程度の負担を求めるべきだ。小浜ルートの場合、2260億円もの負担がゼロになるのだから、その1割くらいは負担してもよいはずだ。 また、米原ルートのメリットは関西だけに限らない。逆に、小浜ルートでは中京圏にメリットがある話になる。そこで、愛知県やその市町村、特に名古屋市にも協力してもらおうと思う。 米原ルートが開通すれば、金沢から名古屋までの所要時間は、筆者の想定では米原駅での乗り換え時間(9分)を含めて1時間15分になる。実質的には毎時2~3本の利用が可能になり、もしかするとJR東海が早朝や深夜の時間帯に名古屋への乗り入れを認めてくれれば、最速で1時間10分を切ることも可能だろう。 これは名古屋にとって大きなメリットになるはずだ。そこで、滋賀県の約500億円を京都府と愛知県で折半して負担するのはどうだろうか。愛知県の負担分250億円を県と名古屋市で折半すれば、自治体ごとの負担はさらに軽くなるだろう。
国債発行の是非を再考
ここまで米原ルートを支持してきた筆者だが、単に建設費が高いからという理由や緊縮財政論を振りかざして小浜ルートに反対しているわけではない。米原ルート支持によって新幹線に予算を付けることが悪とされる風潮が生まれないか――という懸念があるのだ。 筆者は新幹線に5兆円をかけること自体は悪いことではないと考えている。 「5兆円かけてでも作ってやる」 「B/Cが1を切ったからやめるなんて国はない」 と強調する与党整備委員長の西田議員の姿勢は、今後の新幹線整備を促進する上で非常に頼もしい。鉄道関連の予算は道路に比べてずっと少なかったことを考えると、こうした「線路族」議員が増えてほしいと思う。 ここで、2019年10月6日に開催された「山陰新幹線の早期実現を求める舞鶴大会」での西田氏の発言を基に、国家による新幹線建設費の負担について考えてみたい。発言は要約して掲載し解説を加えるが、詳細については「山陰新幹線 西田」と検索し、鳥取県公式ウェブサイトの「山陰新幹線の早期実現を求める舞鶴大会(報告書)」の13~15ページを参照してほしい。西田氏は、 「昭和48年に計画されて以来手付かずの新幹線計画がまだ10路線もある。もしこれを全部やるならいくらになるのか国交省に試算させたら30兆円でできると。もし10年でやるなら毎年3兆円、20年なら1.5兆円です。北陸山陰はもちろん四国も含めたすべての新幹線が10年から20年の間にできてしまうのです。たかだかこれくらいのことがなぜできないのか」 といった趣旨の発言をしており、新幹線整備に対して積極的な姿勢を持っている。西田氏の財源に関する主張には主にふたつの重要な点がある。新幹線の予算を増やすために、次のように提案している。 1.国債をもっと発行すべきだ 2.ただし無限に発行してよいとはいっていない 特に2番目の点は重要なので、部分的にではなく全体を読み通して、西田氏の主張について考えてほしい。 「新幹線を作るため毎年1兆、2兆円を増やすのには国債を発行しないといけない。そんなことはけしからんという世論を財務省が作ってきたが、今一度冷静に国債とは何かを考えていただきたい。結論からいうと、国債発行をすることによって政府は負債を抱えます。しかしそのメリットとして、すべて国民が民間側の財産、預貯金をはじめ、財産を殖やしているのです。これは理屈ではなくて、事実なのです。事実として1000兆円の国債の残高をゼロにするということは、国民側から1000兆円の財産を取り上げて、国家の負債はゼロになる。そんなことをして何かいいことありますか。それでも借金なくなってよかったと?何も良くないのです。そんなことしたらほんとに国家自身がつぶれてしまうことになるのです。ではどちらがいいのかをよく考えてみれば、それは当然国民側に財産を渡すほうがいいに決まっているじゃないですか。そして、これから30兆円の新幹線建設費はじめ、どんどん国債の残高を増やしていいのか、いいのです」 この理屈は会計学を学んだ人にはわかりやすい。国が初めて貨幣を発行したとき、その根拠についてMMT(現代貨幣理論。国家が自国の通貨を自由に発行できるという考え)に反対する人たちからは、明確な説明を見たことがない。 無からお金を創造するのだから、会計帳簿上で発行者の負債として計上されるのは当然のことだ。そして、これは国にしかできないことだ。