とんでも発言も。伊調パワハラ問題に対する協会の認識の甘さと今後への不安
「いつでもオープンなのだから、困ったことは話しに来てほしい」と問題発覚直後に協会幹部は語っていたが、当事者の上司にあたる人の介入は、ハラスメントを解決するのに失敗しがちなやり方だ。日本のレスリングでも、まるで喜劇のような失敗が起きている。 かつて男子の強化選手とコーチ陣の関係が不安定だった時期に、意見をくみ上げる目的だと話して選手からアンケートをとったことがある。ところが、そのアンケートを読んだ幹部が、改善してほしい点について書いた選手を叱責するという本末転倒なことが起きた。今もまだ、その幹部はレスリング協会の要職についているため、内部から事実を認定してもらうのは難しいと、今回の告発側が考えたとしても無理はない。 とはいえ、前述のアンケートにまつわる出来事は十年以上前のことだ。さすがに、レスリング協会の体質も変化し、今回の件をうけて改善されるのではないかと期待したいのだが、冒頭に書いたように、臨時理事会出席者らによるコメントを読むと、今後への不安と認識の甘さが滲み出ているのである。 中には「告発状を読み、告発者を責めるわけではないが、なぜこの方法しかなかったのか、と思った。公の場で言ってほしかった。こうした形での告発、結果としてマスコミを騒がせ、だれも得してはいない」というコメントもあった。 調査報告書を真摯に受け止め、改善してゆかねばならないという決意を示したものがほとんどだが、なぜこんな告発の仕方をしたのか?と不満を口にしているのである。これが本音だとすれば、東京五輪へむけての体質改善への期待が持てなくなる。 調査報告書の末尾近くに、印象的な一節がある。 「本件をみると、いろいろな人が自分の思惑の下に行動し、互いに軋轢を生じさせている。どれ一つをとって見ても、小さい、せせこましいというのが正直な感想である。一人ひとりがレスリング競技の原点に立ち戻り、『敬意と思いやり』の心を取り戻してもらいたい。競技において勝つことが重要であることはいうま でもない。しかし、昨今、余りに勝つことにのみ眼を奪われ、勝つことのその先にあるものが見失われているように思う」 五輪で金メダルを手にすることは、賞賛されるべき努力と研鑽のたまものだ。だが、金メダルさえとれば、すべての無理が通るような傲慢な気持ちを組織全体に蔓延(はびこ)らせてはいまいか。競技団体は強くなること、世界一になることは大きな目的のひとつだろう。だがそれと同時に、この社会の一員としての競技の在り方を模索すべきだ。それは、勝つことだけでは満たされない。レスリングという競技の存在意義は何なのか、置き去りにされてきた哲学をもつ必要に迫られている。 (文責・横森綾/フリーライター)