『虎に翼』松山ケンイチ インタビュー「法曹界で戦う人はこうであってほしいという理想を込めています」
連続テレビ小説『虎に翼』(NHK総合ほか 毎週月曜~土曜 午前8時~8時15分ほか)で、最高裁判所の長官・桂場等一郎を演じる松山ケンイチさんにインタビュー。桂場に込めた思いや、桂場を演じていて感じたこと、学んだことなどを聞きました。 【写真】桂場(松山ケンイチ)と寅子(伊藤沙莉) ◆ついに最終週を迎えますが、ここまで演じられて桂場の印象はいかがですか? 桂場のモチーフになった方は幼い頃から剣道をされていて、ずっと武道に携わっていた人だったので、武道の精神、武士の精神のようなものを桂場の中に取り入れたいなと思って演じていました。少し前まで『どうする家康』で本多正信を演じていたので、そのときのような男性社会の中での立ち振る舞いや生き方、考え方などを取り入れたいなと。桂場は司法の独立へのこだわりが強く、厳格さや覚悟、物事をどう考えているかというところをぶらさないように自分を律している部分があるので、司法に携わる人に対してもそういう部分を持っていてほしいと思っているのかもしれません。司法の独立というのはそれだけ難しいことだし、戦わなければ三権分立にならないと思っているところがあるので、それもあって厳格さがすごく出てきているんじゃないかなと思っています。 ◆桂場を演じていてご自身と似ているところや違うところはありましたか? 僕は桂場ほどいろいろなことを考えて生きていなくて(笑)。常識やルールを受け入れつつも、その中で自分がどう心地よく生きていくのか、幸せに生きていくのかということを考えていたので、考え方が桂場とは全然違いますね。法律自体を変えてやる、自分の意見を言って波紋を広げるといった生き方ではないです。ある意味、僕はすごくゆるさを持って生きているような気がします。 ただ、桂場の厳格さの中にも、団子が好きだったりする部分もあって、そういうところは人として似ているとも思います。花岡悟(岩田剛典)は法を守って餓死しましたが、桂場はそこまでではない。どこかで線引きをしていて、そういうところは現代を生きる上でなくてはならない感覚だったりするのかなと。それは自分でも理解できますし、近い部分でもあるなと思いました。 ◆作品の中で桂場はどのような役割を担っていると思いますか? 桂場の先生で、寅子(伊藤沙莉)にとっても先生である穂高重親先生(小林薫)の「男性女性みんなで法について考えることが大切だ」という考え方の中で寅子は法の世界に入りました。桂場はそれを理想論だと言っていましたが、ある意味一番そこにこだわっているのは桂場だったりすると思うんです。その理想を追い求める中で、法の問題というのは一つのトピックだけではないじゃないですか。ありとあらゆる法律があって権利があって、その時の考え方は時代の中でどんどん古くなっていく。桂場が取り組んでいるのは、古くなった考え方や価値観をどう現代の解釈とすり合わせていくかということです。 その一方で、寅子は家庭裁判所の部分から何かを変えようとしている。2人の変えようとしているものの広さやトピックの種類が全然違う中で、やっぱり桂場は一人の人間であって、全てのことを一人でさばききれない部分があるんですよね。自分が頼れる人がものすごく少ない人でもあるので。司法の独立に一番こだわり抜いているのは桂場ですが、その理想を追求するためには、ある意味寅子がやっている家庭裁判所の問題だけではない違う問題も全部ジャッジしていかなければいけない。自分が最高裁長官にいる間に、司法の独立を成立させるためには何が必要なのかということを全部解決していかないといけないんです。 そうなるとどこかで切り捨てないといけない課題というのが必ずあるのですが、寅子からしたら桂場は間違っているように思えてしまう。桂場が法曹界の人間を切り捨てるといった描写もあったりして、それが間違っているかどうかというのは僕自身も判断できないのですが、最後に向かうにつれて理想と理想のぶつかり合いがより多く出てきます。寅子からすると、「この人をなんとかしないと自分の理想の解決策が潰されてしまう」という状況で。桂場が法曹界の敵になるような瞬間もあるので、そこから彼なりの戦いが出てくると思います。 ◆普段仏頂面なのに意外なところでニヤッと笑ったりする桂場。松山さんが演じたからこそ面白い桂場になったと主演の伊藤沙莉さんがおっしゃっていましたが、桂場を演じたことで得たものやいい経験になったなと思ったことはありますか? 脚本、演出、共演者の方の受けなどで桂場というキャラクターを面白くしていただけているんじゃないかと思います。桂場は普段から基本的には仏頂面ですし、自分の心情を説明するような人でもない。最初から「女性は男性よりも勉強しないとだめだ」みたいなことを言っていましたし、ずっと人をあおっているなと僕自身思っていたのですが、それがある意味背中を押していることにもつながっているんだろうなと。でも人からすると意地悪な感じというか…。桂場はそういうふうにしか表現できないのかなと思いましたが、それだけだと幅が狭くなってしまうので、それを今までに見たことのないものにするためにはどういうふうにすればいいかと常に探っていました。仏頂面が基本ある中で、その仏頂面をどこまで崩してどこまで遊ぶというのを考えながら演じていました。