耳の聴こえない母の喋り方を笑われてしまった日
寄り道をしながら自宅に着くと、母がぼくとYくんを出迎えてくれた。まさか友達を連れてくるなんて思っていなかったのだろう、母は少し驚いて目を丸くしている。慌てて手話で説明をした。 ──友達、連れてきたの。遊んでもいい? 後ろからYくんの元気な声も響く。 「こんにちは!」 状況を把握した母はすぐさま相好(そうごう)を崩す。そして、口を大きく開きながら、口話で言った。 「おういあね」 よく来たね。母はそう言ったつもりだったのだろう。けれど、うまく発音ができないため、はっきりした言葉にはならず、その場にくぐもった音だけが響いた。それはいつものことだ。ぼくはなにも気にせず、Yくんと二階に上がった。 しばらくゲームに熱中していると、母がおやつを持ってきてくれた。お盆にジュースと煎餅が並んでいる。 それに気づいたYくんが「ありがとうございます」と頭を下げた。母はうれしそうに笑って続けた。 「おうど」 どうぞ。これもまた、不明瞭な響きを持って響く。そうして母が下に降りていった後、Yくんが笑いながら言った。 「なんかさ、お前んちの母ちゃん、喋り方おかしくない?」 「……え?」 「さっきもそうだったけど、喋り方変だよな?」 そう言って、Yくんはクスクス笑っている。それに対し、言葉が出なかった。顔が熱い。鏡を見なくても、真っ赤になっているのがわかる。 母の喋り方は、おかしい。それをまさかYくんに指摘されるなんて。 耳が聴こえないから、仕方ないんだよ。本当はそう言えばよかったのかもしれない。でも、なにも言えなかった。母の耳が聴こえないことを説明したとして、彼女の喋り方がおかしいことに変わりはない。むしろ、触れてほしくない傷痕をさらけ出すようで、途端に怖くなってしまった。 結局、「そうかなぁ」と誤魔化して、その場をやり過ごした。 Yくんが帰った後、ゲームを片付けているぼくに、母が尋ねた。 ──新しい友達? 楽しかった? 引っ込み思案の息子に新しい友達ができたのだ。母としてもうれしいことなのだろう。その目は喜びに満ちているように見えた。 ──うん、楽しかったよ。 ──また呼んだらいいよ。次はちゃんとしたおやつ用意するからね。 母の言葉に頷く。でも、もう二度とYくんを呼ぶことはないだろうと思っていた。母の喋り方を笑ったYくんと、どうやって仲良くしたらいいのかわからなかった。 ただ、Yくんを責める気にもなれなかった。なにも事情を知らないのだ。Yくんが抱いた違和感を責めることなんてできない。 じゃあ、一体誰が悪いんだろう。ぼくの目線の先では、母がいつまでもニコニコしていた。