広島の悲劇に涙 キューバ革命指導者、チェ・ゲバラが遺したアートな世界
革命成功直後に来日 広島の悲劇を目の前に涙
チェは革命成功の直後、1959年の夏に日本を訪れた。当初は予定されていなかった広島行きを希望し、平和記念公園で献花。そして、多数の原爆患者が苦しむ様子を病院で目の当たりにすると涙したという。 「チェは誰もが知るヒロシマを訪れ、原爆投下がもたらした事実に衝撃を受け、革命の必要性をあらためて確信しました。日本人が一丸となって進歩や発展を目指した決意やその克己禁欲主義(ストイックさ)に、チェは感銘を受けていたのです。同じ道を歩むことはできないかもしれないし、違う道を取るべきかもしれないながらも、似た志を持つほかの国々にとっての手本として、日本の経験は大きな意味を持っています」 カミーロ氏も今回の来日で広島を訪問し、献花したが、いまの日本から何を感じ取っただろうか。 「一番いいなと思うのは、やっぱり人ですね。知り合った日本人、皆さん本当に親切で礼儀正しい。それがとても印象深いです」 しかし一方では近隣諸国との政治情勢など、けっして安穏とはいえないが……。 「いま、日本だけじゃなく世界全体が複雑な状況にある。理想的なのは、やっぱり世界の国々の紛争や戦争が、避けられるべきだと思います。世界の国がもっと協力していけるような世界を目指していくべきだと思います」 ずいぶん前から日本食も好きだと笑うカミーロ氏と話していると、黒澤明監督や三船敏郎、座頭市を女性に置き換えた映画「ICHI」などのワードが飛び出し、なかなかの日本通を思わせる。自身も趣味で写真を撮るといい、いずれ日本や日本人の写真も全国をまわって撮ってみたいと話してくれた。 「日本は神秘的というより、重要な文化的広場。日本の人たちが、幸せであることを祈ります」
カミーロ氏の夢
現在、チェ・ゲバラ研究所のコーディネーターとして、チェという歴史的人物についての知識を広める仕事に傾注しているカミーロ氏。今後やりたいことについて聞いてみると、 「いろんなところへ行って、世界のことを知りたい。知らなければならないことが、まだたくさんあると思います。それぞれの国が独自の文化を持っているし、それ自体から学ぶことたくさんありますので。あと、やりたいことといえばいろいろあるんですよ。たとえば……宇宙飛行士とかね」 もしできるとすればそれも一つの夢なんだよ、と笑った。冗談半分なニュアンスの中にも、「もしできるとすれば」という但し書きがついた。偉大な革命家の長男は何事もフィクションではなく、実際に「できる」可能性から考え始めるようだ。 (取材・文・撮影:志和浩司) ■カミーロ・ゲバラ■ 1962年キューバ生まれ。モスクワ大学法学部卒業。法学部卒のため弁護士資格を持つ。キューバでは水産省で漁業関連の仕事に携わる。その後母が所長を務める、チェ・ゲバラ研究所のコーディネーターを担当。そこでは、オールタナティブ・プロジェクト部門として、子ども達などへの普及活動をしていると共に、チェの写真展開催等の責任者に携わている。
『エルネスト』10月6日(金)TOHOシネマズ 新宿他全国ロードショー、配給:キノフィルムズ、(c)2017 "ERNESTO" FILM PARTNERS.