児童ら127人犠牲の空襲から72年 現役児童が“先輩”ら供養―大分・保戸島
体験者「二度とあんな惨劇は…」
「(爆風で)窓ガラスが紙ふぶきのように散りました。2階にいた5年生は運動場に吹き飛ばされ、さらに機銃掃射で狙われました。吹き飛ばされただけなら助かったかもしれないけれど。(運動場には)足や手が散らばり…想像を超えた世界でした」 当時3年生で学校にいた西田菊人(きくと)さん(81)は72年前を振り返る。
「学校が軍事施設と間違われた」とも言われているが、真相は明らかになっていない。西田さんは、「敵機のパイロットの顔だって見えた。ということは、向こうも子どもだということが分かっていたはず」と話す。 西田さんら3年生は別棟にいたため被害はなかったが、木造2階建てだった本校舎は空襲の被害を直接受け、1年生と5年生は全員犠牲に。空襲や機銃掃射のあと、児童らの頭や腕が飛び散った運動場を歩いて家路に着いたことを、今でも忘れられない。「あの日もとても暑かった。何年経ってもね。忘れられないですね。二度とあんな惨劇は…。今の子どもには見せたくないですね」
保戸島とは:
大分県南東部に位置する津久見市の一部で、周囲約4キロ。津久見市観光協会によると約900人が暮らしている。もともとマグロ漁が盛んで、マグロの赤身を切り身にし、ゴマだれで和えた漁師料理「ひゅうが丼」が名物。