想田和弘監督の観察映画第10弾「五香宮の猫」、予告編と著名人コメント公開
2021年に映画作家の想田和弘とプロデューサーの柏木規与子は、27年暮らしたニューヨークから、「牡蠣工場」(15)や「港町」(18)を撮った瀬戸内の港町・牛窓へ移住した。同地の伝統的コミュニティの中心にある鎮守の社・五香宮は、野良猫たちが住み着いたことから“猫神社”とも呼ばれている──。想田和弘監督の観察映画第10弾「五香宮の猫」が、10月19日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開。予告編と著名人のコメントが到着した。 「五香宮の猫」予告編
〈著名人コメント〉
のどかな晴れの国の景色と、草花と生き物を神と共に守るお年寄り、こどもたちと旅人たち。誰のものでもない猫たちが刺繍糸のようにそれぞれの関係をステッチして海辺の町の中をキルトのように繋げていく。正解がない課題でも話し合い続ける場を設けられる豊かさに小さな政治の希望と温もりを感じて心に温かい光を灯してもらえたようです。 ──ほしよりこ(漫画家) ひとの暮らしに猫がいる。 猫がいるからひとが来る。 排除とか共存とかの一線を決めないところに平和があるのかなあ。 嵐の日でも猫が腹をだして眠るのはひとの傍らなんだなあ。 ──小林聡美(俳優) 今、この社会の喜怒哀楽はゴツゴツしているけれど、この作品の喜怒哀楽はなぜか柔らかい。なんでだろう。 ──武田砂鉄(ライター) 共生は、容易いものではない。子どもも、大人も、住民も、旅人も、参拝者も、ドキュメンタリー作家も、それぞれの思いで境内に集い、小さな命と向き合う。そのプロセスが「猫視点」で見えてくる、肉球のようにやわらかな町の記録。 ──小川紗良(文筆家・映像作家・俳優) 小さな港町の再現しえない一回性の出来事。そこには、ネット上を飛び交う、文脈から切り離された「情報」とは異なる、地に足の着いた人びとの「知恵」が映り込んでいる。 ──松村圭一郎(文化人類学者) 神社という場で、猫を媒介に、ひとと動物、植物が織りなす小宇宙が広がっていく。 提起されるのは「自分たち」の境界線をどこに引くのかという問いだ。「自分たち」とは集落の人間か、外の人間も含めるのか。わかりあえない人間はどうするのか。人間だけでなく動物も含めるのか。 映画はやがて、他者と棲み分けるのではなく、ともに「棲みあう」地平とはどのようなものなのか、という新たな問いを拓いていく。 ──森千香子(同志社大学教授/社会学者) 時に厄介者扱いされたり、癒しを求められたり、観光客の呼び込みを期待されたり、そして、捨てられたり──高齢化する小さな集落の猫たちの姿を追うほどに、こんなにも重層的な社会が見えてくるなんて。 ──安田菜津紀(メディア NPO Dialogue for People(D4P)副代表/フォトジャーナリスト) どうして想田さんは「猫の映画」なんか撮るんだろうと不思議に思っていたけれど、これは最初から最後まで非情なまでに「人間についての映画」だった。猫が目の前にいる人間の本性を容赦なく映し出してしまうとはこの映画を観るまで知らなかった。 ──内田樹(思想家、武道家) 長い年月、この石段を登り降りしてきた人々。 その足元を、猫たちがするすると行き交い、人々を繋いでいる。 人間、猫、魚、植物…あらゆる生きものの命が光る瞬間がここにある。 ──坂本美雨(ミュージシャン) 植物、微生物、昆虫、動物、人…. 種も、個も、みな、体感する世界が違うので、共生ってとても難しい でも地域でみんなで暮らすわけだから諦めるわけにはいきません 生きとし生けるものが幸せで、安らかで、自由でありますようにと願い続けて、謙虚かつ気楽に生活したいと改めて思いました ──星野概念(精神科医など)