DeNAコーチの職を捨てて現役復帰。くふうハヤテ最年長、藤岡好明が歩む野球道
「周囲は反対というか、クエスチョンでした(笑)。コーチも魅力的な役割ですし、面白そうだなという気持ちもありました。でもなんて言えばいいか、今自分がやりたいことかどうかと考えると、コーチを続けるという答えは出せませんでした。 戦力外通告されたシーズンは、コロナ禍の影響で練習時間や試合数などさまざまなことが制限された時期でした。そういうシーズンで戦力外通告されて、迷ったり、後悔したりすることがたくさんありました。 もちろん当時は、コロナ禍で自分と同じようにさまざまな制限のある中で野球をして、力を出し切れたのか、それとも出し切れていないのか、よくわからないまま戦力外通告されて引退した選手は、他にもたくさんいたと思います。 移籍先を探すにしても、トライアウトを受けるにしても、野球以前に世の中全体が先の見えない状況で、重く暗い雰囲気に覆われていました。そういう状況下で、戦力外通告を受けると同時に、ベイスターズからはコーチ就任というありがたいお話をいただけたので、リスクを取らずに安定した道を選んだ、という感じでした。 コーチを続けるうち、迷いも解消されると思いながら取り組みました。もちろん、楽しいことや新たな学びもたくさんありました。でも、指導者としての自分には、今はあまり期待できないと思い始めました。同じ選手という立場で若手にアドバイスすることはとても好きですが、コーチという仕事に対しては、今は明確な目標が持てない。コーチという立場で描きたい絵は思い浮かびませんでした。 もちろん続けることで描けるようになる可能性はあるとは思いますが、現時点では選手としてやりたいこと、やり残したことのほうが圧倒的に多い。コーチはコーチで、本当に難しい仕事だと思っているので、余計に今はコーチをするのは難しいと考えて、まだ選手として野球ができる可能性があるなら続けたい。もう少し現役を続けたい意思を球団側に伝えて、了承を得ました」 DeNAの2軍投手コーチから、独立リーグ所属チームのコーチ兼任で現役復帰。しかし、1年間のブランクに加えて、コーチ兼任という立場で練習時間の確保も難しく、引退前の状態に戻し、さらにパフォーマンスを上げることは想像以上に難しかった。 現役復帰1年目は主に中継ぎで10試合に登板して防御率は4点台半ばという成績で、2年目はわずか2試合2イニングしかマウンドに上がることはなかった。チームはその間、リーグ優勝、独立リーグ日本一を決めるグランドチャンピオンシップをともに連覇するという大きな結果を残した。 皮肉にもそれは、藤岡に対して現役投手としての役割よりも、NPB3球団で培った豊富な経験を若手に伝えて育てるコーチとしての役割に、より比重を置くことを求める結果となった。