宮藤官九郎はドラマを通して“いま”を記録する 『新宿野戦病院』が問い続けた“平等”
『新宿野戦病院』(フジテレビ系)の舞台である新宿歌舞伎町の過去と現在をヨウコ(小池栄子)と享(仲野太賀)らが闊歩するエンディングは、啓介(柄本明)を中心に、啓三(生瀬勝久)、岡本(濱田岳)、舞(橋本愛)、ヨウコと享が食卓を囲む場面とBUG RICEの卵の黄身をスプーンで割るショットで締めくくられる。 【写真】『新宿野戦病院』⇔『虎に翼』“転生”ショット それとは対照的に、第10話における、リツコ(余貴美子)が持ってきた大量のBUG RICEをそれぞれに食べる聖まごころ病院の面々は、各々衝立を挟んで横並びに座り、1つのテーブルを共有している。 さらに最終話の予告映像の中で垣間見ることができるのは、同様に、衝立を挟んで1つのテーブルを共有するリツコ、啓三、啓介、はずき(平岩紙)、ヨウコ、享という、ちょっとばかり複雑な「家族」の姿。「最後の晩餐」を模しているかのようなその光景に最終話らしさを感じつつ、全員がお茶らしきものを飲んでいる中で、ヨウコがペヤングを食べていることで、均衡が崩れているのもまた面白い。 それは、第10話、そして9月11日放送の第11話において描かれる、未知の新種ウイルス・ルミナによってもたらされた、彼ら彼女らの生活様式の変化なのであるが、それ自体が、新宿歌舞伎町のみならず、日本そのものの過去と現在を示しているような気がしてならない。それはどこか、家長を中心にテーブルを囲む旧来の「家」のスタイルはコロナ禍の生活様式の変化を機に完全に崩壊し、新しい「家族」の在り方を探す「今」があることを思わせるようではないか。 『新宿野戦病院』は、脚本を手掛ける宮藤官九郎による「現在」の記録だ。最初は、「現代日本の縮図」のような新宿歌舞伎町という土地を巡る物語だった。トー横キッズ、ホームレス、オーバーステイの外国人、ホストとホストに貢ぐ女性など、聖まごころ病院に集う人々を通して社会問題を描くとともに、彼ら彼女たちに全力で向き合うヨウコはじめ医師・看護師たちや、NPO法人「Not Alone」の舞たちの姿を描いた。 次第に、本作は歌舞伎町だけでなく、日本全体の「今」と、人々の姿を描き始める。例えば、第7話で描いた堀井しのぶ(塚地武雅)の人生と家族の愛。例えば、時刻の表記を通して時間の経過を示したことが、突如緊迫感と非日常感を生んだ第8話の「コンカフェ爆破事件」。「誰でもよかった、死刑になりたかった」と言う犯人と、瀕死の犯人を助けるヨウコたちの思いを通して、ニュースで見聞きする、実際の無差別殺人事件のことを思わずにはいられなかった。