宮藤官九郎はドラマを通して“いま”を記録する 『新宿野戦病院』が問い続けた“平等”
今を生きることに夢中すぎて、私たちは簡単に少し前のことを忘れてしまう
さらに驚かされたのは、第10話で描かれた、コロナ禍後に起きた、未知の新種ウイルス・ルミナを巡る一連の流れだ。コロナ禍と重ね合わせる登場人物たちの会話によって、「あの頃医療現場で起きていたこと」を含む総括が行われる。そしてそれは、「ルミナの脅威」のように再びパンデミックが発生した時、人々は同じことを繰り返すのか、当時の反省を次に活かすことができるのかという、こちら側に対する問いかけでもあった。 そして実際に、ルミナ感染者・凌介(戸塚純貴)のあっけない死、ステイホーム、享の「コロナで言うところの無症状」と啓三の感染、自粛警察など、新型コロナウイルスよりも強大なルミナによって引き起こされる災厄の数々が描かれていく。それはまさに、数年前起きた様々な出来事をなぞっていくかのようだった。たった数年前のことなのに、「過去」であると感じていることにゾッとする。あの時誰もが感じていた痛みを、いつのまにか頭の片隅に追いやっていたことに気づかされた。第10話終盤、第9話までの「平和だった頃」を「忘れちゃったよそんなの」と言い合う舞と享の会話の、その逆のように、今を生きることに夢中すぎて、私たちは簡単に少し前のことを忘れてしまう。 宮藤官九郎は『あまちゃん』(NHK総合)で東日本大震災を描き、昨年『季節のない街』(ディズニープラス/テレビ東京系)で“ナニ”から12年経った街の仮設住宅で生きる人々を描いた(山本周五郎『季節のない街』原作)。宮藤官九郎はいつも、街を描く。前へ前へと進もうとする人々がすぐさま頭の片隅に追いやってしまう、決して忘れてはいけないことを、テレビドラマという記録装置を通して永遠に残す。そして、前へ前へと進もうとする街が、見て見ぬふりをしようとする人々に、光を当て続ける。 本作は「平等とは何か」を問い続けた。その1点において、第10話は、第5話の対と言える。なぜなら、第5話は、ECMOを巡って官房副長官・川島(羽場裕一)が優先され、ホームレスのシゲさん(新井康弘)が助からなかった回であり、それでもシゲさんを救おうとするヨウコが「笑う」ことで彼の免疫力を上げようとする回だった。 一方、第10話では啓三が、ホームレスのタケ(森下能幸)と病床をともにし、ECMOが足りない状況を前に、命の危険にさらされていることで、ルミナによって誰もが「平等に命の危険にさらされている」ことを示すとともに、ヨウコは「怒らせる」ことで彼の免疫力を上げようとする。そして享と舞の「社会の平等と命の平等」を巡る第1話から続く議論は、「平等だからむなしい」という思いに辿りつく。舞曰く「平等じゃないと許せない」のだろう「命が平等だから軍医になった」ヨウコ先生は、戦場と化した聖まごころ病院で何を思うのか。
藤原奈緒