定番はカロリーメイト、映えない「ディストピア飯」地味に人気の続く訳、人々が食いつく背景には何があるのか
「ユートピア型では、有無も言わさず食事が淡々と与えられる。何が使われているか、映画を見てもわからない場合が多いです。一方、ポスト・アポカリプス型では、資源がないことを表現するために、何を食べているかわかる作品が多い。『マッドマックス2』では、ドッグフードの缶詰を食べるシーンがあります。新たに食糧を自給できないので、文明時代のものを発掘する」(三原氏) ■管理社会への嫌悪と規則的生活への憧憬 三原氏は冒頭の展覧会の後、2023年秋にも湘南の海岸で、ランチボックス型のディストピア飯を提供する1日だけの展覧会を開いた。その際も、15人の参加者は喜んで食べたが、このときも中身を当てる人はいなかった。
「僕自身は管理社会に嫌悪感を覚えますが、同時に、自分が規則的な生活ができないゆえの憧憬もあることを、否定できません。僕のように、自己矛盾的な気持ちを抱える人たちがいることを考えると、全体主義的な管理社会が生まれる可能性もあるのではないでしょうか」と三原氏は作品に込めた思いを語る。 三原氏によるディストピア飯のシリーズは、投稿し始めた2019年は、実験的な意味合いが強かった。というのは、食の世界では、他のジャンルのようにポストモダンの時代が到来していないと考えたからだ。
「一番売れているものが、一番製品としての質が高くおいしい」という価値観の時代が来なければ、その価値観を批判して次の時代が来ない。食の世界も飽和するのではないか、と三原氏は考えポストモダン食としてディストピア飯の投稿を始めた。 三原氏が指摘する通り、食のトレンドも近年は飽和気味で、外食・中食・家庭料理のレシピの世界、いずれも煮詰まっている感がある。グルメブームと言われて40年。飽和しないほうがおかしい。
一方で、ディストピア飯がコンビニで揃う社会は、すでにSF的未来が到来しているとも言える。三原氏が提供した料理を参加者が完食するのも、まずくないからだ。 ■グルメすぎる時代をリセット? ディストピア飯の投稿者たちは、あえて映えない食事の画像を投稿することで、もしかすると無意識のうちに、グルメすぎる時代をリセットする食のポストモダンを実践しているのかもしれない。 最初の投稿があった2017年は、日本でもSDGsの言葉が広まり、食糧難時代を予見する報道が増える時代と重なる。今は代替肉としての大豆ミートなども広がってきている。
食糧危機に襲われたニューヨークを描いた映画『ソイレント・グリーン』へのオマージュとして、2014年にアメリカで発売された「ソイレント」など、完全栄養食をうたう商品もある。ディストピア飯が現実となりうる時代は、始まっているとも言える。いや、原料や製造工程がわからない食は、すでに私たちの日常だ。ディストピア飯は、ふだん見ないようにしている食の現実への批判でもある。
阿古 真理 :作家・生活史研究家