日本の競争力がヤバい水準まで低下、企業のビジネスを棄損する「昭和な謎ルール」の元凶とは
さて、そこで次に気になるのは、なぜ日本人はこんなにもルールでがんじがらめになってしまうのかということだろう。 ネットやSNSでの議論を見ていると、「ムラ社会」とか「家父長制」とか「島国根性」というワードが飛び交うことが多い。確かに、日本人の「横並び」を尊ぶカルチャーや、出る杭を寄ってたかってへし折る陰湿さには、そのような要素も影響しているような気がする。 ただ、「村」も「家」も「島」も日本特有のものではない。海外でも多かれ少なかれムラ社会や家父長制は存在するし、島国根性もある。日本人だけがここまでルールに固執する根拠としてはやや弱い。 ● ルールへのこだわりを生む 人格形成まで踏み込んだ学校教育 日本人がここまで突出して「ルールを守る」ということにこだわるようになってしまったのは、やはり日本人に特有の要因があったと考えるべきだ。 実は、その条件にピッタリと合うものがある。「学校教育」である。 ご存じの方も多いだろうが、日本の学校教育は世界的に見てもかなりユニークだ。いろいろな特異性があるが、最も顕著なのが「ルールを守るのが人として正しい道」という人格形成に過度に注力している点だ。 世界では、基本的に学校は学びの場なので、教師も勉強を教えるだけで、子どもの「人格形成」などは親や周囲の大人たちの役目、という考え方の国も少なくない。 だから、日本ほど生活態度や服装にうるさくない。教室の掃除もしないし、髪型のチェックや、靴下や下着の色を教師が確認するような風習は珍しい。
何かしらのルールを設定する場合も、学校や教師が一方的に従わせるというよりも、子どもたちと話し合って決めることも少なくない。 なぜかというと、「ルール」(rule)には「ruler」(支配者)という言葉があるように、「人を権力で一律に支配する」といったネガティブなイメージがあるからだ。要するに、個人が自主的に従うものではなく、イヤイヤ従うのが「ルール」なので、子どもの教育にそぐわないという考え方もあるのだ。 だが、日本の教育現場はまったく逆で、「ルール」は人がこの社会で生きていくためには必要不可欠なものとされる。だから、教育現場でもホームルーム、部活動、合唱コンクール、大縄跳び競争、運動会での人間ピラミッドなどで、「ルールに従うことの重要さ」を徹底的に叩き込む。その中でももっとも効果的に子どもたちにルールを破ることの恐ろしさを体でわからせるのが、「校則」だ。 「ブラック校則」「学校の謎ルール」などが話題になっているように、子ども側はルールに疑問を持つことは許されない。どんなに理不尽なルールを定められてしても素直に従う者が「いい子」とされて、ルールを破ったり、口答えをしたりする子どもは「問題児」として排除をされる。 ● 子どもは優秀な「社畜」予備軍? 学校教育法に見るルールの呪縛 「ん? ちょっと前に似た話を聞いたな」と思う人も多いだろう。そう、日本の学校教育で行われていることは、ビジネスの効率性がない会社が社員たちに「謎ルール」を押しつけているのとまったく同じではないか。 ここまで言えばおわかりだろう。日本企業が「ルールで縛る」という組織マネジメントに力を入れているのは、日本人がもの心がついた時から受けている学校教育がそうなっているからだ。 そう聞くと、「なぜ日本の学校教育は、そんなにルールを大事にするのか」と不思議に思う人もいるだろう。その答えはシンプルであり、そういうルールだからだ。学校教育法の「義務教育」の中にはちゃんとこう明記されている。 「学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと」(第二十一条)