平成の日本政治とは?(2)冷戦後の世界戦略を考えなかった日本
冷戦終結で平和な世界になると考えなかった米国
ソ連崩壊を受けて、宮沢首相が「これで日本も平和の配当を受けられる」と語ったのを聞き、私はがっかりした。米国ではソ連なき世界をどうするかで真剣な議論が展開されたが、冷戦の終結で世界が平和になるとは誰も思っていなかった。むしろソ連がなくなれば、ソ連が管理してきた核技術や核科学者が世界に拡散し、危険がより深刻になると考えていた。 ソ連をスパイしたCIA(米中央情報局)は廃止されるどころかより強力な組織に改編され、ソ連以外の、例えば経済分野も担当するようになる。軍も世界的な再編を行って次の脅威に備えることになった。そして米国は冷戦後の米国の敵を「ロシア、中国、日本、ドイツ」の4か国と名指しした。1992(平成4)年にブッシュ政権下の国防総省が作成した機密文書DPG(国防計画指針)に書かれてある。
経済も軍事も米国の戦略に組み込まれていった日本
その考えは共和党だけでなく民主党にも共有された。1993(平成5)年から始まるクリントン政権で国防次官補を務めたジョセフ・ナイは、「日本を今後も自主防衛能力を持てない状態にしておくには、日米同盟を維持する必要がある。日本が米国に依存し続ける仕組みを作れば、我々はそれを利用して日本を脅し、米国に有利な軍事的・経済的要求を飲ませることが出来る」と語った。 クリントン政権は日本の宮沢政権に対し、日本は不公正な貿易を行っているとして、日本に制裁を課す「通商法スーパー301条」をちらつかせ、また管理貿易につながる「数値目標」の導入を要求してきた。その一方で日本をけん制するためか、経済で中国に接近し日本を無視するようになる。さらに「年次改革要望書」を送りつけ、日本型資本主義を米国型のそれに変えるよう迫ってきた。 その一方でクリントン政権は、ジョセフ・ナイの進言を取り入れ、中国と北朝鮮の脅威を強調し、「アジアの冷戦は終わっていない」として、北東アジアに10万人規模の米軍を駐留させ、1996(平成7)年には橋本龍太郎政権と「日米安保再定義」を行い、従来の日米安保体制を変更させた。 日米安保条約は冷戦が前提である。ソ連を仮想敵として日本が基地を提供する代わりに米国が日本を防衛する内容だった。ソ連がなくなれば全面的に見直す必要がある。しかし日本は見直しも何もしなかった。すると米国は日本周辺で有事があれば自衛隊が米軍に協力することを要求し、それを「安保再定義」に盛り込んだのである。 日本は言われた通りに周辺事態法をつくり、自衛隊は米軍と一体化する方向へ踏み出した。基地と防衛がバーターされた冷戦時代と異なり、軍隊ではない自衛隊が米軍の軍事戦略に組み込まれることになった。 冷戦が終わったことで、米国は世界を一極支配する戦略を数年がかりで作成する。一方の日本はバブル崩壊の後始末や「政治とカネ」の問題に目を奪われ、官僚も政治家も冷戦「後」の戦略を考えようとしなかった。そのため経済も軍事も米国の戦略に唯々諾々と組み込まれていった。それが平成の日本政治である。
--------------------------------- ■田中良紹(たなか・よしつぐ) ジャーナリスト。TBSでドキュメンタリー・ディレクターや放送記者を務め、ロッキード事件、日米摩擦、自民党などを取材する。1990年に米国の政治専門 チャンネルC-SPANの配給権を取得してTBSを退職、(株)シー・ネットを設立する。米国議会情報を基にテレビ番組を制作する一方、日本の国会に委員会審議の映像公開を提案、98年からCSで「国会テレビ」を放送する。現在は「田中塾」で政治の読み方を講義。またブログ「国会探検」や「フーテン老人世直し録」をヤフーに執筆中