<ボクシング>“怪物”井上尚弥 父と二人三脚で掴んだ日本最速の世界王座
「序盤のペースのままで終わるとは思っていませんでした。絶対に何かあると。その通りになりましたね。もう足が持たないと思って殴り合いました。練習で作った引き出しです。最後は、『早く止めてくれよ!』と思っていましたが。あれは右の肩越しに狙っていたパンチ。チャンピオンの実感は、まだ沸きません。でも殴り合いができて楽しかった」 育ち盛りの肉体は、節制を心がけても大きくなっていて、8キロを超える過酷な減量がある。加えて、今回、試合の3週間前にインフルエンザにかかるアクシデントがあった。39.5度の高熱に苦しみ、しばらく練習ができなかった。幸いにして数日で熱は引いたが、ちょうど減量に入っていくタイミングでの熱発だった。 「体力を戻してから減量に入りたかったけれど、それができなかった」 ウイルスに犯され弱まった肉体は、過酷な減量に耐え切れず、大一番で、命綱の足に痙攣を起こした。しかし、井上には、絶対に負けられない理由があった……。 父の真吾さんは、20代の頃、たまたまコンビニで顔を合わせた先輩に「俺ボクシングやってんだ。今度、見にこいよ!」と声をかけられ、その試合を見にいき、ボクシングの魅力にとりつかれた。元々は、空手をやるなど格闘技の手ほどきがあった真吾さんは、打たせずに打つというボクシングの技術の高さに衝撃を受けた。父は、プロにはならずアマチュアでボクシングを続けたが、その父の影響を受けて、小学校1年からボクシングを始めたのが、長男の尚弥である。父がコーチをしながら一緒にボクシングジムに通っていたが、中学生の頃に、そのジムが閉鎖。父は、「練習場所がないと強くなれないから」と、自分が社長として立ち上げていた塗装業を人に任せ、それまでの貯金をはたき、神奈川県、秦野の駅前にビルを借りて、息子のためにアマチュアジムを開いたのである。 もう井上は、分別のわかる年頃だった。共にボクシングを始めていた拓真と2人で、こんな覚悟を決めたことを覚えているという。「弟と一緒に、これは俺たちが世界チャンピオンにならないと、家は大変なことになるぞと話したことがあります」。