「第8回横浜トリエンナーレ」開幕レポート! 世界中の「生きづらさ」を照らし、絶望から生き抜く術を見出すための現代アート。横浜美術館ほかで開催
「わたしの解放」:富山妙子からベトナム人女性労働者たちへ
私が本展で深く感銘を受けたのは、円形のギャラリー5が丸ごと充てられた富山妙子の展示と、対となるギャラリー2の現代作家たちの展示で構成された「わたしの解放」という章だ。 富山妙子は1921年に生まれ、2021年に亡くなった画家。子供であった1930年代を満州大連とハルビンで過ごし帰国、50年代から筑豊炭鉱や鉱山の労働者を描き始めた。1970年代には韓国の詩人金芝河(キム・ジハ)と共作、また日本の戦争責任や日本軍「従軍慰安婦」をテーマにし、近年は東日本大震災に関わる作品を制作した。その芸術活動を貫くのは、日本という国を超えたトランスナショナルな視座、労働者や女性といった社会的マイノリティへの共感、支配的権力や歴史観への強い抵抗だ。50年以上に及ぶ創作活動は多くの人々に影響を与えてきたが、日本の戦後~現代アートの中心で必ずしも重要視されてきたわけではない。ある意味周縁化されてきたと言えるが、その作品は近年再評価が進んでいる。 本展では、こうした富山の様々な作品がまとめて展示される貴重な機会となっている。私もこれまで図版でしか見たことのなかった作品の数々を間近で見、そのディテールに驚かされた。それと同時に、現在の国際的なアートシーンでやっと脚光を浴びるようになった、女性とフェミニズムや社会的マイノリティへの視点、主流な歴史の問い直し、アジアへの関心やトランスナショナルな在り方、といったものを半世紀以上前から先取りするように制作の原動力とし、長年継続してきたという凄みに圧倒された。撮影は禁止なので、ぜひ多くの人に足を運んでほしい。(ただ絵画作品のいくつかがかなり高い位置に設置され、よく見えないことは残念だ。天井高のある空間を比較的小さな絵画のため使うための試行錯誤、また多くの作品を展示したいという熱意によるものだとは理解できるが、子供や車椅子の人にとっては作品を見るのが非常に困難なのではないだろうか。設備のバリアフリー化に対して、作品の配置や動線などにこうした難しさを感じる場所がほかにもいくつかあった)。 そして対となるギャラリー2は、ウィーン在住のアーティストで資本主義の欺瞞にユーモアを持って向き合い続ける丹羽良徳、台湾の台南で活動するグループ、ユア・ブラザーズ・フィルムメイキング・グループ(你哥影視社)の展示が行われている。ユア・ブラザーズ・フィルムメイキング・グループの作品は、2018年に台湾で100人以上のベトナム人女性労働者が待遇改善を訴えたストライキに取材したインスタレーション。作家は、彼女たちが立て篭もった二段ベッドが並ぶ寮の空間を再現し、ストライキを再現するワークショップを行った。 本章タイトル「わたしの解放」は富山の著書から取られた言葉。ここでは富山を起点に現在に至るまでの、アジアひいては世界各地で繰り広げられてきた名もなき者たちによる解放のためのアクションとその創造性に思いを馳せることができるだろう。 世界中に溢れる困難が押し寄せて来るような展示 「わたしの解放」に見られた、労働、闘争、トランスナショナルというテーマは本展で繰り返し登場する。 ジョシュ・クラインによる、捨てられたかのような失業者の生々しい彫刻《生産性の向上》(2016)や、1984年にイギリスのヨークシャーで起きた炭鉱労働者と警官隊の衝突を再演するジェレミー・デラーの作品など、労働と社会的階級、闘争をテーマに扱う作品がいくつかある。 トマス・ラファの映像はオルタナ右翼によるロマ族への暴力をとらえ、その横にはコソボの日常を描き、いまなお癒えない紛争の傷と保守的な価値観を自虐的にあぶりだすアルタン・ハイルラウの作品。 トム・ウィリアムズが撮影した「移民なしにはやっていけない」というプラカードを掲げた人々はエッセンシャルワーカーで、コロナ禍において過酷な状況に追い込まれながら社会のために奮起する自分たちの貢献を訴える。 また生存戦略のため自治や共同体作りという点で、小林昭夫とBゼミの資料展示が興味深かった。画家の小林昭夫が従来の美術教育に飽き足らず、自ら横浜に作った教育の場、富士見町アトリエ。そこでのゼミの実験的な学びとその後の日本のコンセプチュアルアートへの貢献を検証する展示だ。小林は50年代にアメリカで抽象絵画を学び、そこで世界の最先端を目に焼き付けた。Bゼミの風景をとらえた写真には李禹煥によるゼミの様子もあり、こうした国を超えた作家同士の交流や、その時々の潮流の国際的な影響関係にも、トランスナショナルな姿を見てとれる。 もうひとつ、日中の版画交流のキーパーソンとして活躍した、版画家・教育者の李平凡に関するセクションも、トランスナショナルな連帯と学び、アジアの近代化について示唆に富むものになっている。