木星の「大赤斑」は1665年に発見された「永久斑」とは異なる可能性が高いと判明
しかし、永久斑の観測記録は1713年を最後に途切れ、1831年のハインリッヒ・シュワーベによる次の観測記録まで、実に118年間もの観測空白期間があります。この空白期間にも木星は観測し続けられていたので、もしも永久斑が大赤斑と同一の嵐であり、1713年以降も存在し続けたとすれば、1世紀以上ものあいだ天文学者の関心を引かず、スケッチにも残されなかったことになります。これはむしろ、空白期間の間に永久斑は消滅し、それとは別の嵐として大赤斑が新たに誕生した、と考える方が妥当かもしれません。 ただし、大赤斑のような巨大な嵐の誕生と消滅のメカニズムや、嵐がどのように拡大・縮小するのかはよく分かっていないため、カッシーニの永久斑と現在の大赤斑が同一であるか否かは未解決のままでした。 ※1…木星の嵐の90%以上は強烈な下降気流を伴う高気圧性の嵐であると推定されています。地球では低気圧が天候を悪化させる嵐の原因となる一方で、高気圧は晴天をもたらすのでイメージしにくいかもしれませんが、災害をもたらすような高気圧性の嵐は地球でも発生します。例えば2018年にイギリスで発生した「ハルトムート高気圧(通称 “東からの獣” )」は、高気圧性の嵐が猛烈な寒波をもたらした一例です。 ※2…1665年よりも前の観測記録にも同様の嵐が記録されているという主張もありますが、同じ嵐を観測したかどうかには異論があり、一部は明確に否定されています。このため、連続する確実な最古の記録は1655年のものとなります。 ※3…ドナート・クレティが1711年に描いた8枚の絵画シリーズで、当時のローマ教皇クレメンス11世に天文台の設置を促すため、博物学者のルイージ・フェルディナンド・マルシーリの依頼で作成されたと言われています。惑星や彗星などを正確に描写するために、天文学者のエウスタキオ・マンフレディ、またはジョヴァンニ・カッシーニの助言を受けたとされています。