1977年のハロウィンが地獄に…最恐ホラー『悪魔と夜ふかし』ケアンズ兄弟が明かす制作の舞台裏
テレビ番組の生放送中に起きた奇怪な現象を“ファウンド・フッテージ”のスタイルで描きだした、オーストラリア発のホラー映画『悪魔と夜ふかし』が公開中だ。メガホンをとったのは、脚本・編集も兼任するコリン&キャメロン・ケアンズ兄弟。2人は『エクソシスト』(73)、『キャリー』(76)など多大な影響を受けた70~80年代の名作へのオマージュを盛り込みながら、独創的な恐怖譚を生みだした。PRESS HORRORではケアンズ兄弟にインタビューし、制作の舞台裏について尋ねた。 【写真を見る】そこは“地獄”…ハロウィンの夜、生放送のスタジオで起きた惨劇 本作で映し出されるのは、深夜のテレビ番組「ナイト・オウルズ」の封印されたマスターテープ。1977年のハロウィンの夜、司会者ジャック・デルロイ(デヴィッド・ダストマルチャン)は、生放送でオカルト・ライブショーを見せることで人気の低迷を挽回しようとしていた。番組内では霊視やポルターガイストなど怪しげな超常現象が次々と披露されていき、視聴率は過去最高を記録。しかし番組終盤、悪魔に取り憑かれた13歳の少女リリー(イングリッド・トレリ)が登場したことで、“史上最悪の放送事故”へと発展していく。 ■「作家としては、なにより楽しく説得力のある物語を描きたいと思っています」(キャメロン) ――デヴィッド・ダストマルチャンをはじめ、すばらしい性格俳優が集っていますね。特に長編映画初出演のリリー役イングリッド・トレリは堂々たる存在感です。 コリン「イングリッドは、12人ほどオーディションしたなかから決めました。メルボルン在住の俳優がいいなと考えていました。彼女は本当に、最初から際立っていて。存在感もあったし、身のこなしもたたずまいもよかったし、この役をやりたいという熱い思いも感じました。特に、彼女がカメラを見たときの眼力がすごく特別なものに感じましたね」 キャメロン「彼女自身も歪んだ、サイコパスのような役をやりたいという思いが元々あったらしくて。だから彼女にとっては夢のような役だったと思います。彼女は直感に優れているんですよ。キャラクターの重層的な構造もよく理解していて、まだまだ若いけど、すごい才能だと思います」 ――そのほかの俳優で特に印象に残っている人は? キャメロン「個人的にはバックバンドがお気に入りです。彼らはまるで『ブルース・ブラザーズ』みたいで。役者ではないんですが、ルックスやたたずまいでくすっと笑ってしまうような人物もいる。“ずっと一緒に番組をやってきた仲間”という主人公との関係性を、見事に表現してくれました」 ――お2人の前作『スケア・キャンペーン』(16)も本作も、テレビ業界を舞台にしていて、聡明で良識ある人間がほとんど登場しないという共通点がありますね。 コリン「はい、人間の愚かな努力や、人間がいかに不条理になりうるかを描くことにとても興味があるんです。『スケア・キャンペーン』の主人公エマは、本作のジャックに比べてもう少し道徳心があったように思います。間違いを犯したとしても、なにか違うんじゃないかなと違和感を抱いていたから、まだ良き人でした。今作ではそれをしっかりと突き詰めないうちに手遅れになってしまうんです。そして本作の場合、エマのような人物は番組レギュラーのガス・マコーネル(リース・オーテリ)じゃないかと思っています。周りからバカにされ、信心深いところもあるけれど、常に理性的なことを言っているのは彼だけなんですよね。キャラクターというものは白黒で割り切れるとおもしろくはないので、すごく興味深い人物像になったと思います」 ――日本でもファウンド・フッテージ・ホラーは人気ですが、主題となるのは幽霊、呪い、恨みなどで、カルトや悪魔、洗脳を描く欧米とは明らかな違いがあるように感じられます。 キャメロン「作家としては、文化的になにが怖いかみたいなことにはあまりこだわっていません。なによりまず、楽しく説得力のある物語を描きたいと思っています。本作の場合、最初から超常現象を扱うのは決めていたんですが、スラッシャー映画では成立しないなと。こういう作品になるのは自然な成り行きで、だから幽霊や超常現象が出てくることになったんです」 コリン「この10~20年ほどアメリカのホラーはすごく順調で、最近は『Longlegs』や『Cuckoo』のような変わった作品が登場してきています。オーストラリアもアメリカと似てはいるけれど、予算などの関係で同じことはできないわけです。だから、僕らは自分たちの感性で、自分たちの歴史や文化を背景に、自分たちなりのやり方でつくっているんですが…ただ、ハリウッドのトレンドとはあえて違うことをして、そういうやり方もあるんだってことを示せたら、とは思いますね」 ■「映画は物語の“魔法”を生かし続けなければいけないと思っています」(コリン) ――お2人はもともとミュージシャン志望で、ジャズが好きとのこと。お2人にとって映画における音楽の重要性とは? コリン「音楽は我々にとってとても重要で、本物だと感じられることがなにより大事です。今回は劇中のバンドをどう見せるかを長い時間をかけて考え抜きました。そして、最高のジャズ・アレンジャーであるロスコー・アーウィンに参加してもらい、サウンド・デザインを映像に同調させ、命を吹き込んでいきました」 キャメロン「バンド演奏は撮影前に録音して、それをカメラマンや各部門の人たちに聴いてもらい、方向性を理解してもらいました。そうやって、より本物らしくすることができたと思っています」 コリン「僕らはミュージシャン志望だった、みたいなことをよくふざけて言うんですけど…」 キャメロン「50人ぐらいの前でプレイしたこともあるからね」 コリン「完全にミュージシャンとして失敗したわけではないというのも、ちょっとした自慢ですね(笑)。それはさておき、映画にとって音楽のもつテンポやリズム、構造は、キャラクターやプロットと同じくらい大事です。僕らのそういった音楽に対する愛が、作品を通して皆さんにも伝わるんじゃないかなと思います」 キャメロン「そして劇伴を担当した作曲家のグレン・リチャーズは、すごくスマートで、良いコラボレーションになったと思っています。オープンで、色んなアイデアをくれるので、編集の時に色々試すことができたんです。彼とはこの作品を含めて3本目。目立つわけではないけど効果的なスコアを見事に作ってくれました」 ――動画配信の流行もあり、ながら見、倍速視聴などで映像が手軽に消費できる時代です。このようなカジュアルな視聴方法について、どう思われますか? コリン「いまはコンテンツが多すぎるがゆえに、簡単に消費されてしまいがち。そのせいで物語のマジックが少し失われてきていますが、映画では特にその魔法を生かし続けなければいけないと思っています。だけど、大量のイメージに我々は圧倒されてしまっている。本来は、人間を掘り下げながら世界観を生みだし、 それを視覚的に反映するようなものをつくっていかなければいけない。“作品”をつくるのが難しい時代なのかもしれませんね。つくれたとしても、短期間だけ配信されてあっという間に観られなくなってしまうこともありますから」 キャメロン「自分で探して、なにかを見つけるのも映画の楽しみですよね。先日、メルボルン映画祭に参加してきたのですが…」 コリン「映画祭のような場も、すごく重要だと改めて思いました。大胆なテーマ、フレッシュな才能や作品を見つけると興奮しますよね。そういった機会やコミュニティがなくなってきているようにも感じますが…。5、6年前に比べたら、コロナ禍を経て映画館に行くことも減っているかもしれないけれど、同時に若い方たちの映画を観たい欲求、つくる欲求も日々すごく感じていて、そういったものにはとても励まされます」 取材・文/西川亮