「大学無償化」への批判が的を射ていない真実 お金だけでは得られない豊かさに目を向ける
私の収入が150万円、パートナーの収入が150万円、それだけあれば、ぜいたくはできなくても安心して生きていけます。生まれ育った故郷で生きる自由を手にできます。少子化や東京一極集中などの問題もグッとやわらぐでしょう。 みなさんは自分の子どもを大富豪にしたくて勉強をさせていますか? そうではなくて、人並みか、できればちょっといい暮らしを楽しんでほしい、そんなささやかな願いから子どもたちを受験戦争にうながしているのではありませんか?
もしそうなら、子どもたちに《生きかたの選択肢》を与えるべきです。 もちろん、偏差値の高い学校をめざし、大都会に出て、先端的な学びの機会にふれることはすばらしいことです。それを妨げる理由などどこにもありません。 ですが、精神の自律を手にするという本来の目的に立ちかえり、多くの人たちが受験に必死になるよりも、青春時代を楽しみ、地域にある大学に行き、生まれ育った街で愛する人と出会い、働き、生きていくという選択肢もあってよいのではないでしょうか。
この選択の自由のための経済的な土台こそが、ベーシックサービスなのです。 ■ライフセキュリティの社会へ ベーシックサービスと品位ある最低保障を両輪とした社会を、僕は《ライフセキュリティの社会》と呼びます。 命と生活、すなわち「ふたつの生(=life)」を保障しあう社会という意味です。 ライフセキュリティの社会は、お金とは違う「豊かさ」をもたらしてくれます。 子どもは費用ではなく、慈しみの対象に変わります。
勉強ができない、たったそれだけの理由で子どもをしかりつけ、傷つける必要はなくなります。子どもも、大人も、ともに将来の不安から解きはなたれた社会なのですから。 私たちは、本当にやりたい仕事にチャレンジできるようになります。会社の求める長時間労働やサービス残業にたいして反対できるようにもなります。 仮に一時的に失業しても、転職して給与水準がさがっても、みなが安心して生きていける社会なのですから。 ■取り戻したい「当たり前の自由」