日産株主総会で内田社長に感じた「余裕」と「覚悟」の正体、新中計で内田体制は総仕上げへ
● 日産の株主総会 余裕が出てきた内田社長 6月25日、日産自動車の第125回定時株主総会が神奈川県横浜市の日産グローバル本社で開催された。 冒頭に、3月に公正取引委員会から下請法違反の勧告を受けたことを内田誠社長が謝罪するとともに、適正取引に向けた再発防止策と責任を明確化するために内田社長を含む購買担当者の報酬一部カットを報告した。 また、前期の2023年度で終了した中期経営計画「Nissan NEXT」の振り返りを行い、24年度から26年度までの新中期経営計画「The Arc」が、「EV競争力向上」と「イノベーションによる差別化」を重点に、30年に向けた日産らしさの成長へ重要なものになることを強調した。 その後、質疑に入り、抽選により18人の質問にほぼ内田社長が答えた。第1号議案の剰余金処分の件、第2号議案の取締役12人選任の件が承認され、10時に開始した株主総会は計1時間47分で終了した。 内田社長就任後、最初の20年から5回目の株主総会を迎える中、構造改革が進んだこともあり、内田社長からは従来よりも「余裕が出た」印象を受けた。 だが一方で、依然として低迷する日産の株価への対策や、仏ルノーとの資本関係見直し後の連携、新たなホンダとの提携模索の動向など、取り組むべき課題は山積している。そうした課題の対応に内田社長が強い覚悟を示したのが、今回の株主総会であった。
● かつてのゴーン長期政権安定から 経営混乱・業績悪化の時代へ 筆者は、ここ10年ほど一般株主として日産の株主総会に毎年出席している。カルロス・ゴーン元会長時代は、株主会終了後に懇親会が開催されており、ゴーン氏が株主や関係者に愛想良く振る舞っていたほか、大株主であるルノーへの配当を意識したゴーン氏の下、日産が高配当政策を行っていたことで、一般株主も満足していた“平和”な時代もあった。 だが、18年11月に当時、現役の会長であるゴーン氏が突然逮捕されてから、日産は激変の時代に変わった。ゴーン氏の後継だった西川廣人元社長も、19年9月に自らの役員報酬疑惑から辞任したことで、業績の悪化と経営陣の混乱が重なり、その後の株主総会では大きく紛糾する事態となった。 19年12月、中国事業担当で現地に駐在していたダークホースの内田氏が社長に就任した。20年2月には臨時株主総会で西川取締役が退任し、新たに内田社長らが取締役に選任された。 内田日産は、嵐の中スタートを切った。就任から緊張の連続で内田社長の表情にも疲れが表れたのか、目の下のクマが濃く見えることもしばしばだった。さらに、コロナ禍や半導体不足などの経営環境悪化も続いたが、それでも、事業構造改革による業績立て直しを進めてきた。 この間、資本提携先のルノーとの資本関係の見直しが実現し、23年11月に、相互に15%ずつ出資することで長年の議論が決着するという、大きな節目も迎えた。日産は23年12月に創立90周年を迎えたが、四半世紀も続いたルノー支配から対等の関係になり、日仏連合は新たな段階に入った。