「よそもの」であるが故に気づくこと。NYで活躍する漫画家が表現する、''枠からはみ出た''物語
「自分はなぜそう感じたのか?」を問い続けることの大切さ
イギリスの心理学者ヘンリ・タジフェルによれば、アイデンティティには、国籍、民族、宗教、性別、職業など、集団の一員ということでもたらされる「社会的アイデンティティ」と、個人的な価値観や関心など、「私」としての自分を定義する「個人的アイデンティティ」があるという。どちらも相互に影響しあいながら自己概念を形成していく(※1)。 小学生だったハラさんは、他者のレンズを通じて、社会的アイデンティティが持つ複雑さと、排他的意識を感じとった。そして、そのとき受けた感情を、うまく言語化することができなかった。「自分はなぜそう感じたのか?」それ以来、その答えを探し続ける日々であったという。 言語化が困難な問いは、ハラさんの学ぶ意欲を掻き立てた。京都大学へ進み、日本とは何かを学ぶため、日本文学を専攻。キリシタンとの交流により中世の日本で誕生した「日葡辞書」や、イソップ物語の翻訳書「伊曽保物語」などを通じて、外来語が日本語に変化していく過程や、適切な表現がなく翻訳できない言葉について学んだ。 在学中のフランス留学を経て、大学院はイギリスに進み、能楽や中世日本の美学に関する比較文学の研究を行った。それらがやがて創作のエネルギーとなり、幼少期に過ごしたアメリカ南部を再訪し、現地の美術大学でイラストレーションの修士号も取得。 卒業後はニューヨークの美術大学などで教えながら、カナダの出版社Drawn & Quarterly(ドローン・アンド・クォータリー)からグラフィック・ノベルを出版し、2023年からは日本に関する制作に取り組むため、広島県尾道市にアトリエを構えている。グラフィック・ノベルとはアメリカの本のジャンルで、見た目はコミックと同様に言葉と絵の組み合わせで物語を語るものだが、大人向けの複雑な作品が多い。 Drawn & Quarterlyは、Times誌から「北米で最もエレガントな出版社」と評され、水木しげるやつげ義春、ガロなどの日本の漫画家、トーベ・ヤンソンなどのヨーロッパの作家や、日本でも人気の高いエイドリアン・トミネなどの作品を北米で出版するオルタナティブ・コミックの老舗だ。 ハラさんは彼らから稀有な才能と評され、最新作の短編集「The Peanutbutter Sisters and Other American Stories(ピーナツバター・シスターズとアメリカの物語)」では、「マジック・リアリズムの要素と多様な人物が登場する本作は、アメリカン・コミックの定義を変えている」といった高い評価を受けた。そして、アメリカの出版専門誌パブリッシャーズ・ウィークリーの批評家賞など、数々の賞を受賞した。