<ネタばれあり>山田孝之が〝英雄〟ではない「十一人の賊軍」 原案・笠原和夫とは何者か
「全員、討ち死に」に「何考えとるんや!」
笠原は幕末の戊辰戦争で、北陸の小藩である新発田藩が朝廷から幕府軍への参加を求められ、恭順の姿勢を示しながら官軍に寝返ったという史実に注目した。ここから、新発田藩城下で官軍と幕府軍との戦闘が起きるのを防ぐため、幕府側の勢力が藩内を通過する2日間、11人の罪人にとりでを守らせて官軍を食い止めろと命じたという物語を創作、350枚のシナリオを書き上げた。 この頃東映では、企画会議の席上、撮影所長だった岡田茂の前で脚本家が原稿を音読し、判断を仰ぐのが常だった。「読んでいるうちに岡田さんが大あくびをして『ちょっと待て』と。『最後はどうなるんだ?』と言うから、『全員、討ち死にで負ける話です』と言ったら、『そんな負ける話なんかやってどうすんのや! 何考えとるんや!』とドヤされて、一遍にアウト」。原稿は「頭にきて破って捨てちゃった」という。このエピソードを知っていた白石監督が企画を復活させ、残っていた梗概(こうがい)を元に、「孤狼の血」などの池上純哉が脚本を書き上げた。「全員、討ち死に」という結末こそ変更されたものの、笠原が仕込んだ鋭い刃は健在なのである。
「仁義なき戦い」「大日本帝国」視点は抑圧された人々に
日本は戦後、国民を戦地に駆り立てた国家と天皇の責任をうやむやにしたまま、あっけなく民主主義へと看板を掛け替え、犠牲になった命を忘れて繁栄と平和を享受した。笠原は「大義」「報国」を掲げる国家や権力者の横暴を身をもって知り、使い捨てにされた庶民の怒りと悲哀に目を向けていた。暴力団元組長の手記を元にした「仁義なき戦い」は、日本映画史を画すバイオレンスアクションだ。しかし菅原文太が演じた主人公は、悲惨な戦場から身一つで生還したものの行き場は裏社会しかなく、そこでのし上がるものの、再び組織の論理に翻弄(ほんろう)される。 第二次世界大戦の開戦から東京裁判までを2部構成で描いた「大日本帝国」は、戦場や軍の内情をリアルに描きつつ、激しい戦闘場面が見せ場のスペクタクル大作。タイトルから〝反動的〟との声もあったが、実際には天皇の戦争責任にまで踏み込んでおり、むしろ〝左翼的〟と評価されもした。当時としても大胆な内容で、笠原は「映画の中で天皇批判をやるというのは会社もいやがるし、生々しくは言えないんだけども、間接的に自分の思想というか見識を出すために……一種の高等手段を使っていた」(「昭和の劇」)と語っている。