<ネタばれあり>山田孝之が〝英雄〟ではない「十一人の賊軍」 原案・笠原和夫とは何者か
「十一人の賊軍」で山田孝之が演じる農民の政は、〝命をかけて藩の危機を救ったヒーロー〟なんかではない。徹底した反逆児である。妻を陵辱した新発田藩士を殺害し、死罪を言い渡された。侍に刃向かえば命はないと分かっていたのだから、覚悟の上の復讐(ふくしゅう)だ。武士階級にも藩にも憎しみしかなく、大義や忠誠はかけらもない。赦免を条件に藩軍に加わったものの、藩のために命を捨てる気など毛頭ない。隙(すき)を見て脱走することしか考えず、ほかの藩兵を平気で裏切り何度も脱走しては失敗を繰り返す。だからこの映画、よくある分かりやすいヒーローアクションではないのである。 【写真】第37回東京国際映画祭のレッドカーペットに登場したオープニング作品「十一人の賊軍」の出演者たち
60年前に葬られた企画が復活
こんなに扱いにくい主人公、行儀がよくなった昨今の日本映画には珍しい。それもそのはず、「原案」としてクレジットされている笠原和夫は、「仁義なき戦い」の生みの親、権力や体制を問う骨太の娯楽作を次々とヒットさせた、昭和を代表する脚本家なのだ。「十一人の賊軍」は、笠原が1964年に書き上げながら、日の目を見なかった作品である。 笠原和夫(1927~2002年)は、第二次世界大戦末期に海兵団に入団、終戦後、東映に入社して50~90年代に日本を代表する脚本家として活躍した。「日本俠客伝」や「仁義なき戦い」のシリーズ、「二百三高地」「大日本帝国」といった戦争大作など多くのヒット作を手がけた。緻密な取材に基づいた物語にアクションや人間ドラマをたっぷりと織り交ぜた娯楽作だが、その根底には、戦前から戦後、高度経済成長期にかけて、日本社会の価値観や倫理観が無反省に激変したことへの批判と怒りが込められていた。白石和彌監督が映画化した「十一人の賊軍」にも、その背骨が貫かれている。 「十一人の賊軍」は、64年ごろに企画されながら、実現しなかった。そのいきさつが、笠原へのインタビューをまとめた「映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇」に書かれている。当時東映は「十七人の忍者」「十三人の刺客」などをヒットさせ、〝集団抗争時代劇〟を押し出そうとしていた。それまでの、スターが演じるヒーローと敵が対決する勧善懲悪の時代劇と異なり、敵対する勢力や組織内の闘争を、1人を主演とするのではなく、多くの俳優が入り乱れる群像劇として描いたのが特徴だ。「十一人の賊軍」も、その潮流に乗って書かれた。