【インタビュー】表舞台から姿を消したバロテッリが語る苦悩の年月…断った中国の巨額オファーと奇妙体験へとつながる失敗の連続「俺は大きく変わった」手にした最強の武器とは? | セリエA
イタリア国外での奇妙な体験
2020年12月、セリエBのモンツァと契約を結んだバロテッリ。だが今度は、ケガの影響で実力を十分に発揮できず、シーズン終了後に退団し、翌シーズンはトルコに新天地を求めた。 「モンツァへ加入してすぐに筋肉系のトラブルを抱えた。その後、復帰し、最後の5試合くらいは良いパフォーマンスを見せることができたが、もう遅かった。モンツァを退団して、イタリアでまだできることはないかと待機していたが、最終的にアダナからオファーが届き、俺はトルコへ行った」 「トルコでもピッチ外では難しい1年間を過ごした。だがピッチでは、ゴールを量産し、良いプレーを見せることができた。しかしシーズンの終盤、俺以外の間で、会長による給料未払いが起き始めていた。俺はその雰囲気が好きになれず、退団してシオンへ行った」 2022-23シーズンに所属したスイスのクラブでは、度重なる指揮官の交代に翻弄されたバロテッリ。シーズン終了後、保有元のアダナへ戻ると、チームのメンバーが大量に退団していたと話す。 「シオンでは、会長がひどかった。次から次へと監督を呼んでは解任し、1シーズンに何度も交代した。最後は会長が監督をやっていたよ。あの場にいて『こんなこと信じられない』って思っていたよ。あんなことは、見たことがなかった」 「それからアダナへ戻り、直後に2、3ゴールを挙げた。だがひざを痛めてしまったんだ。小さな軟骨が剥がれて、ひざの中で動いていたので痛みがあった。手術をして翌年2月に復帰すると、ロッカールームの半分が空になっていたんだ。『何が起きたんだ』という感じだった。給料が支払われず、主力の11人が退団した後だった。1年、また1年と不運が続き、自分はどうすれば良いのかという思いだった」 「立ち直るたびに、何かの一撃を受けるという感覚だった。『どんなキャリアだったか』と聞かれれば、常にうまくいっていたが、ここ数年に関しては、正直、自分以外の要因の影響を受けていたように思う」