8億5500万円! 高値安定のフェラーリ「250GT スパイダー カリフォルニア」は、かつて日本のコレクターが所有していた個体でした
さまざまな来暦が残る250GT スパイダー カリフォルニア
シャシーナンバー1217GTは、1975年末にワシントン州シアトルのジョージ・ハイザーに譲渡される。1979年、彼はエンジン番号1217GTを搭載した「250GT ボアーノ」を手に入れ、1217GTエンジンは、もともとのパートナーであるスパイダー カリフォルニアに戻された。 ハイザー氏はそののち約12年間、フェラーリを熱心にメンテナンスしつつ保有していたものの、彼が入手した1975年の段階では1万ドル程度だった価格が、1987年には50万ドル以上にまで高騰するのを目の当たりにしたことから、ついに売却を決意した。 その後の6年間は、250GTはスウェーデンの有名なコレクションを保有し、「250GTO」やほかの250GTスパイダー カリフォルニア数台と並べられることになる。 1993年になると、この1217GTはカリフォルニア州パロアルト在住の著名なクラシックカーコレクター、ジョン・モーツァルトが手に入れ、同州のフェラーリ・スペシャリスト「フィル・ライリー&カンパニー」に大規模なレストアを依頼。この時には新車時以来のオリジナルのカラースキームで内外装がリフレッシュされたほか、機械的性能を向上させるためにディスクブレーキも取りつけられた。 1994年、1217GTはカリフォルニア州モントレー在住のフレッド&ラモーナ・ボーランダー夫妻に譲渡される。そしてボーランダー夫妻は、同年8月にモントレーで開催された「FCAインターナショナル・コンクール」にて、この美しいスパイダー・カリフォルニアを披露した。
フェラーリ美術館に展示され、日本のフェラーリ専門誌でも特集
それから約10年ののち、このフェラーリ250GT スパイダー カリフォルニアは、わが国の地を踏むことになった。2004年のモントレー・カーウィークにおいて開催されたオークションで、世界屈指のフェラーリ・コレクターだった松田芳穂氏が見初めたことから、有名な「マツダコレクション」が入手することになったのだ。 ただ、かつての御殿場「フェラーリ美術館」に置かれた期間は非常に短かったものの、日本のフェラーリ専門誌『スクーデリア』(旧ネコ・パブリッシング社刊)2005年2月号にて、大特集が組まれている。 じつはこの特集の取材に立ち会い、原稿を書いたのが筆者自身だった。また、ほんの少しながらステアリングを握る機会もあったのだが、予想していた以上に身のこなしが軽くて、その以前に乗ったことのあった「250GT-SWB」を連想させられたことから、スカリエッティ製コンペティツィオーネの血統は争えない……と感じたことを、取材から20年の時を経た今でも鮮明に記憶している。 また、所有者である松田氏もずいぶんお気に入りのご様子に見えたはずが、同じ2005年の8月、このフェラーリは旧「RMオークション」時代からフラッグシップだった「Monterey」セールに出品され、現オーナーが手に入れることになった。 それ以来、カリフォルニアは19年間にわたり、入念な空調管理のもとで保管され、ほとんど使用されていない本物のコンディションを保っている。ただし今回のカタログ写真を見ると、内装の赤いレザーは新車同然だった当時と比べると、レストア以来30年の経過を感じさせるような「ヤレ」も見受けられるものの、これはこれで魅力的ではある。 なにより、シャシーナンバー1217GTがナンバーズマッチのV型12気筒エンジンを維持していることは、このクルマの正統性を大いに高めている。 ただし現在この1217GTには、別の250GT系モデルのものと思われる内部番号「238DR」が刻印されたギアボックスが、オリジナルと推定されるリアアクスルに組み合わされていることも正直に申告されていた。
【関連記事】
- 【画像】かつて日本にあった1台! フェラーリ「250GT スパイダー カリフォルニア」を見る(全39枚)
- ◎フェラーリ「250GTルッソ」を「250GT」風にカスタムした車両が2億2300万円も…ファントゥッツィによるモディファイと聞いて納得です
- ◎26年間シングルオーナーだったフェラーリ「288GTO」が約6億2700万円で落札! 最低落札なしでもスペチアーレは高値安定でした
- ◎57億円ともいわれたフェラーリ「250テスタロッサ」の落札価格は…。世界を転々としたヒストリーを紹介します
- ◎およそ78億円! 2023年最も高額だったのはフェラーリでした。4台しか製造されなかった「330LM/250GTO」のヒストリーとは