8億5500万円! 高値安定のフェラーリ「250GT スパイダー カリフォルニア」は、かつて日本のコレクターが所有していた個体でした
オープンボディはスカリエッティが手がけた
アメリカ東海岸におけるフェラーリの正規輸入代理店であるルイジ・キネッティも、フォン・ノイマンのアイデアに興味を示し、やがて250GTの新しいバリエーションとして「スパイダー カリフォルニア」が少量生産されることになった。 同時期に併売されていたピニンファリーナ製の250GT カブリオレよりもスポーティなスパイダー カリフォルニアは、250GT-TdFベルリネッタのシャシーとボディ下半身を共有し、そのオープンボディはデザインワークから架装まで、伝説のセルジオ・スカリエッティが手がけた。 スカリエッティのコーチワークは、250GTの潜在的なプロポーションをみごとに再現したもので、官能的な造形のフェンダーは、前輪のすぐ後方に設けられたルーバー状のエアアウトレットによって補完されていた。 250GT スパイダー カリフォルニアといえば、ショートホイールベース(2400mm)の後期型も有名だが、当初250GT-TdFと同じ2600mmホイールベースのシャシーをベースに製作され、のちに「ロングホイールベース(LWB)」と呼ばれるようになった前期型250GT スパイダー カリフォルニアは、1959年の「セブリング12時間レース」でクラス優勝を果たし、数カ月後のル・マンでは総合5位に入賞するなど、当時の耐久レースのGTカテゴリーで注目を集めてゆく。 そして、その名が示すように多くのモデルが米国に輸出され、北米SCCA選手権のレースでも目覚ましい活躍を果たしたのである。
映画に出演した後、名レーサー、ジョー・シフェールの所有歴も
この夏「Monterey 2024」オークションに出品されたフェラーリ250GT スパイダー カリフォルニアは、1959年式のロングホイールベース版で、シャシーナンバーは「1217GT」。マッチングナンバーのV型12気筒エンジンを搭載し、オリジナルのカラーコンビネーションが維持された1台である。 フェラーリの大家として全世界に知られるヒストリアン、マルセル・マッシーニ氏の調査によると、シャシーナンバー1217GTは、50台が製造されたロングホイールベースのうちの19台目とのことである。1959年2月に完成し、「ネロ(黒)」のボディに「ロッソ(赤)」のレザー内装が組み合わされ、ヘッドライトはカバーのない露出したスタイルとされた。 当時は純正ハードトップを装着していたこのフェラーリは、イタリア・ジェノヴァの造船会社「オフィチーネ・ナヴァーリ・カンパネッラ」社に新車として販売されている。 それから7年後、このスパイダー・カリフォルニアは1967年のイタリア映画『Le Dolci Signore』(1年後に『Anyone Can Play』として国際公開)の撮影に使用され、セクシーなフランス人女優で当時のボンドガールでもあったクローディーヌ・オージェが運転するさまが劇中で披露されている。 そして1960年代末になると、有名なスイス人レーシングドライバーにして、この時期から自身のガレージとカーディーラーも設立していた、「セッピ」ことジョー・シフェールの所有となる。 1972年1月、シャシーナンバー1217GTは「ガレージ・シフェール」から有名なスイス人ディーラーであり、モータースポーツ作家でもあるロブ・ドゥ・ラ・リーブ・ボックスに売却されたのち、数カ月後には「フェラーリ・クラブ・オブ・アメリカ」の創設者のひとりであるリチャード・メリットが次のオーナーとして名乗りを上げた。
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