戦後、かつて重慶で撃墜した中国空軍パイロットと奇跡の再会…満107歳を迎えた「零戦の初空戦」に参加した元パイロットの証言
私が2023年7月、上梓した『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人は何を語ったか』(講談社ビーシー/講談社)は、これまで約30年、500名以上におよぶ戦争体験者や遺族をインタビューしてきたなかで、特に印象に残っている25の言葉を拾い集め、その言葉にまつわるエピソードを書き記した1冊である。日本人が体験した未曽有の戦争の時代をくぐり抜けた彼ら、彼女たちはなにを語ったか。 【写真】敵艦に突入する零戦を捉えた超貴重な1枚…!
御年107歳の元零戦搭乗員
ことし(2024)年5月、1人の元零戦搭乗員が満107歳の誕生日を迎えた。三上一禧(かつよし)。零戦(零式艦上戦闘機)がまだ試作段階の「十二試艦上戦闘機」と呼ばれていた頃からテスト飛行に任じ、昭和15(1940)年、海軍に制式採用されたのちは、零戦による初の空戦に参加した人である。 家族と施設が心づくしの誕生会を開き、そこに私をふくめ、つきあいの長い人たちがごく少人数で参加した。三上は介助が必要で、残念ながら知らない人が訪ねて話を聞ける状態ではないものの、私のことは憶えてくれていて、それ以上望むことはなにもないと思った。 三上について私はこれまで、『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人は何を語ったか』や最新刊『決定版 零戦 最後の証言1』(光人社NF文庫)をはじめ、さまざまなところで書いているが、今回は特に、印象に残っていることにスポットを当てたい。 昭和15(1940)年9月13日金曜日――。 この日、中華民国が臨時首都を置く重慶上空で、日本海軍に制式採用されて間もない零式艦上戦闘機(零戦)13機が中華民国空軍のソ連製戦闘機、ポリカルポフE-15、E-16(正しくはИ-15、И-16。И-15は改良型のИ-15bis〈И-152〉だが、日本海軍、中国空軍両軍ともにこう呼んだ)、あわせて約30機と交戦、うち27機を撃墜(日本側記録)、空戦による損失ゼロという一方的勝利をおさめた。 新鋭戦闘機にふさわしい、華々しいデビュー戦だった。 零戦はその後、中国大陸上空でつねに一方的な勝利をおさめ、さらに太平洋戦争の初期にも、航空先進国と自他ともに認めていたアメリカ、イギリスをはじめとする連合軍機を圧倒。「ゼロ・ファイター」の名は、敵パイロットに神秘的な響きさえもって怖れられたが、その「無敵零戦」神話の始まりこそが、この重慶上空の初空戦だった。いまから84年も前のことである。三上はこの空戦に参加した13名の零戦搭乗員の1人である。 私が三上とはじめて会い、インタビューを申し込んだのは、平成8(1996)年8月、元零戦パイロットが集う「零戦搭乗員会」総会の席上だった。このとき三上はこう答えた。 「私に零戦のことをいま話せって言われても何も言えませんよ。憶えていません。忘れるために大変な努力をしてきたんですから。過去は一切合切捨てて、戦後を生きてきたんですよ」 だが、その後もしばしば手紙を出し、戦友会で顔を合わせたりしている間に、根負けしたのか親しみを感じてくれたのか、三上の姿勢に少しずつ変化が見られた。そして1997年、ようやく自宅でロングインタビューが実現した。