“おかしいことが面白い”世界が生きやすい鳥居みゆきさん(43)「お笑い芸人になって息ができるように」|STORY
お笑い芸人としてだけでなく、俳優や小説家、絵本作家としても活躍している鳥居みゆきさん。その一方で、周りからは「変なやつ!」と言われ続け、幼少期からずっと生きづらさを抱えてきました。息ができるようになったのは、お笑いの世界に入ったから。鳥居さんがその世界に入るきっかけとなった出来事や、いま思うことについてお話しいただきました。(第2回/全4回) 【写真あり】「やっと自分を見ることが嫌じゃなくなった」鳥居みゆきさんの表情 【鳥居みゆきさんprofile】 お笑い芸人・俳優。1981年、秋田県生まれ、埼玉県育ち。2008年、2009年の『R-1ぐらんぷり』で決勝に進出し、白いパジャマ姿で両手にはマラカスやくまのぬいぐるみという“マサコ”のキャラクターで人気に。日本テレビ系ドラマ『臨死!!江古田ちゃん』では主演を務めるなど、女優としても活躍。2009年に小説『夜にはずっと深い夜を』、2012年に『余った傘はありません』、2017年には絵本『やねの上の乳歯ちゃん』も発刊。
引くくらい暗い人になった中学時代
心の底では自分を表現したいとずっと思っていたんです。でも、自分の心に素直にあろうとすると変と言われてしまうから、あまり嘘をつきたくないし、だんだん喋らなくなっていって。中学生ぐらいからですね、人と喋らずにいたら、すごい暗い人になっていました。中2の時、ボランティアで仲良くなった老人ホームのお婆さんだけが、私の中に溜まっていた話を「うんうん、そうだね」とずっと聞いてくれて、文通もして。こんなにも私の中には伝えたいことがあったのか?と思うくらい、私はお婆さんに気持ちを吐き出してましたね。そのお婆さんも亡くなってしまって、また暗い私に戻り、喋らない人生に。でも心の中では(こう思っているんだよ、面白いこと考えているんだよ)というのがずーーーっと溜まっていました。
“おかしいことが面白い”世界を知った高校時代
高校生のときは、知り合いがいる地元にいたくなかったので休日は東京に行くと決めていました。姉が読者モデルをやっていて、土日に原宿などに行くのに私もついて行ったり、自分だけで都内に遊びに行くようになったんです。上野で昭和のいる・こいるさんの寄席を見ていた時、すごく変なところで終わったんですよ。それまで楽しそうに喋っていたのに、急に終わって。好き勝手に喋って終わって、それに対しても笑いが起こったのがすごい衝撃で! こんな表現の仕方があるんだ、私もやりたい!と思ったのが、お笑いの道を目指すきっかけになったのかもしれません。またその頃、映画にもハマっていました。映画のクラウス・キンスキーになりたい!とも思ってましたね。父が『イレイザーヘッド』を見せてきたことがあったんですけど、足が異様に動く焼き立てのローストチキンが映像に出たとき、「お前、似てるな」って(笑)。デイヴィッド・リンチも好きでした。そうして父の趣味でアングラ系にハマり出しました。その前にもサブカルやアングラに傾倒していったのは、高校の先生から私が戸川純さんに似ていると言われ、戸川さんグッズをもらったのも影響しているのかも。サブカル系やアングラ系って、結構自由に生きる人が多かったので、息がしやすくなったのを覚えています。“おかしいほうが面白い”っていう世界があることを知れました。