山手線「駅名」ストーリー 品川(JY25): 実は新橋よりも先に仮開業した鉄道発祥の駅
幕末の志士に関連した史跡
そうした重要な地だけに、歴史上の重大な事件・人物とも深く関わっている。歴史家の安藤優一郎は、特に幕末に顕著な例が多いと述べている。 1862(文久2)年12月12日、品川駅の南にあった遊郭「土蔵相模(どぞうさがみ)」に長州藩の志士たちが集合した。高杉晋作と伊藤俊輔(のちに博文)の姿もあった。目的は、ここからほど近い地に建設中だった英国公使館を焼き討ちすることだった。 遊郭ゆえ人が多く、秘密裏に行動を起こす集合場所にはうってつけだったのだろうか。焼き討ちは成功し、集合場所には現在も「土蔵相模跡」の石碑が立っている。
品川駅から第一京浜沿いを川崎方面に歩くと、品川神社がある。その神社境内の奥に、板垣退助の墓所がある。土佐藩出身の志士で、明治に入ると自由民権運動を率いた人物だ。墓所の隣りには、刺客に襲われた際に口にしたといわれる名言「板垣死すとも自由は死せず」の石碑もある。 さらにもう一つ、品川宿場町の本陣跡にひっそりと佇む公園は、明治天皇に縁(ゆかり)ある場所で、名称を「聖蹟公園」という。 本陣は宿場町でも最も格式の高い宿泊施設である。1868(明治元)年、ここで休憩をとるために立ち寄ったのが、明治維新に伴う遷都により京都から東京に移る途上にあった明治天皇だった。公園の名称「聖蹟」とは、天皇が行幸の途中に立ち寄った「聖なる蹟(あと)」という意味である。 幕末・維新のファンにはたまらない歴史を刻んだ名所が、品川には多い。
【品川駅データ】
・開業/ 1872(明治5)年6月12日 ・1日の平均乗車人員 / 24万8650人(30駅中第5位 / 2022年度・JR東日本調べ) ・乗り入れている路線 / 京急本線、またJRでは山手線の他に東海道本線・京浜東北線・横須賀線・東海道新幹線の停車駅
【参考文献】
・『明治維新後の品川 』 / 品川区 ・『地形を感じる駅名の秘密 東京周辺』内田宗治 / 実業之日本社 ・『東京の地名由来辞典』竹内誠編 / 東京堂出版 ・『続 駅名で読む江戸・東京』大石学 / PFH新書 ・『東京23区の地名由来』金子勤 / 幻冬舎 ・『江戸・東京の地理と地名』鈴木理生 / 日本実業出版社 ・『山手線お江戸めぐり』安藤優一郎 / 潮出版社
【Profile】
小林 明 1964年、東京都生まれ。スイングジャーナル社、KKベストセラーズなど出版社での編集者を経て、2011年に独立。現在は編集プロダクション、株式会社ディラナダチ代表として、旅行・歴史関連の雑誌や冊子編集、原稿執筆を担当中。主な担当刊行物に廣済堂ベストムックシリーズ(廣済堂出版)、サライ・ムック『サライの江戸』(小学館)、『歴史人』(ABCアーク)、『歴史道』(朝日新聞出版)など。