落合陽一氏が創建した「計算機自然神社」についてイスラーム学者・中田考が鋭く指摘「ありふれた宗教ビジネスの一つに過ぎない」
では、「計算機自然神社」とは何か
「計算機自然神社」とは、自然が計算機の中にも外にも存在しその両者が相互に作用しループを形成することでデジタルとアナログ、人工と自然、人間と計算機を融合して新たな創造性と世界観を生み出すという新しい自然「計算機自然(デジタルネイチャー)」概念に基づき創建された、ヌルの「神」とオブジェクト指向「菩薩」を並置することでデジタル技術と日本の神仏習合思想を掛け合わせ創造性を引き出す新たな精神的な空間として現代の信仰や文化・芸術に新しい風を吹き込む場所とされ、神社を詣でる利益は「無から有を生み出す可能性の拡大」と「創造性と思考の深化」ということになる。
「計算機自然神社」創建もありふれた宗教ビジネスの一つに過ぎないが、似非宗教ではない
我々が今日宗教と呼ぶ現象は、有史以前の遺跡の土器や壁画などにも見出すことができる。政治、経済、産業、科学、技術、軍事、哲学、教育、芸術などが分化する以前、それらがまだ未分化で混然一体となっていた頃、それらを覆う傘のような存在として宗教は存在した。 宗教は古来よりどこでも共同体の選良たちによって最新の知の語彙をもって語られ、技術を用いて表現、実践され、その能力を欠く大衆によって模倣、消費されてきた。 目先の利く「知識人」「芸術家」「商人」が最新流行の科学技術の語彙を散りばめた言説と趣向を凝らしたパフォーマンスによって、見せかけの「作られた伝統宗教」とパッケージすることで儀式の付加価値をつけて、創造性を欠く大衆に儀礼に参加することで最新の知と技術に参入したかのような代償満足を得させて対価を払わせる営為はきわめてありふれたものである。 「計算機自然神社」創建もまたそうした宗教ビジネスの一つに過ぎない。微視的には外国からの訪問客も満足して帰っているようであり、取り立てて持て囃すような新味もないが、似非宗教、似非科学だと目くじらをたてるほど悪辣な問題ではない。
中田考
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