名古屋都心は栄?名駅? 市民千人アンケートその結果は
名古屋の都心である「栄」と「名駅」。市民の間ではこれまで、歴史の長さや地価、テナント数や企業本社の数など、さまざまな項目で「どちらが都心か」という論争が繰り広げられてきた。住宅・不動産広告を主に取り扱う広告会社のDGコミュニケーションズ(東京)がこのほど発表した市民アンケートでは、僅差ながら一つの答えが出た。2つのエリアの歴史とともに、気になるその答えを見てみたい。
城下町として発展をした「栄」
栄の歴史をたどると、1610年(慶長15年)、徳川家康の命ではじまった名古屋城着工にさかのぼる。天守閣の完成を迎える1612年ごろには、これまで織田信長の拠点として栄えた清洲から、名古屋へと都市の移転も行われた。この「清洲越し」と呼ばれる遷都により、清洲にあった町屋は、本町や玉屋町、茶屋町などに移され、なかでも名古屋城と熱田を結ぶ本町筋や伝馬町筋を中心に町並みが作られていった。 やがて幕藩体制が終焉を迎えると、この辺りにあった武家屋敷は次第に解体され、中心部では銀行の設立や小さな工場が目立つように。また明治時代に一帯は栄町と改称された。 複数の呉服店がしのぎを削っており、1910年には「いとう呉服店」が栄町西南角に市内で初めてとなる「デパートメントストア―いとう呉服店」(のちに南大津通に移転し松坂屋と改称)を開店。戦時中の空襲で栄一帯も焼け野原となるものの、1954年の名古屋テレビ塔の完成、1959年の名古屋城再建など復興が進む。 以降、地下街や百貨店・ファッションビルなどが次々と完成。中心にある久屋大通公園では定期的にイベントが開催されるなど、栄は今も名古屋の流行発信地として人々を集めている。
交通の要衝として躍進「名駅」
一方の名駅は、かつては広大な湿地であった。明治時代になり、東京と大阪を結ぶ鉄道計画が決まると、1886年に笹島の工事用貨物駅を「名護屋駅(翌年に名古屋駅と改称)」として開業。1892年に現在地に移転される。 その後、1938年に関西急行電鉄(現在の近鉄)が名古屋駅に乗り入れ、1941年に名鉄新名古屋駅(現在の名鉄名古屋駅)が開業、1957年に地下鉄東山線(名古屋~栄)が開通。そして1964年に東海道新幹線が開業すると、名駅の「中部の玄関口」としての役割は、より確固たるものとなった。 このように交通の要衝として発展した名駅は、周辺に百貨店や地下街もそろっていくが、平成11(1999)年のJRセントラルタワーズの誕生をターニングポイントとして、商業施設やオフィスが入る複合高層ビルが続々と建つようになる。 ミッドランドスクエアや名古屋ルーセントタワー、モード学園スパイラルタワーズなどが完成。さらに今後、新しい大名古屋ビルヂングをはじめ、JRゲートタワー、JPタワー名古屋などを予定。2027年にはリニア中央新幹線の開通も控え、ますますの発展が期待されている。