「銀メダルを獲得した瞬間から今も“悔しい”メダルです」レスリング男子日本代表・文田健一郎選手、パリ五輪にかける思いを語る
本部長・マンボウやしろと秘書・浜崎美保が、リスナーのみなさんと「社会人の働き方・生き方」を一緒に考えていくTOKYO FMのラジオ番組「Skyrocket Company」。今回の放送では、レスリング男子パリ五輪代表の文田健一郎(ふみた・けんいちろう)選手がゲストに登場。メダル獲得への意気込みについて語ってもらいました。
◆東京オリンピックの結果を振り返る
文田健一郎選手は、レスリング男子グレコローマンスタイル60キロ級でパリオリンピックに挑戦する日本代表選手です。山梨県出身の文田選手は小学生時代、遊びの延長の感覚でレスリングを始め、中学に進んでから本格的に取り組み、国際大会で結果を出すなど頭角を現します。 その後、2017年にはアジア選手権で優勝。全日本選抜選手権にも勝利し、世界選手権の代表権を獲得。世界選手権では5試合を勝ち抜いて、初出場初優勝を成し遂げるなど、世界的なレスリング選手として活躍しています。2021年の東京オリンピックでは銀メダルを獲得。今大会注目の選手です。 まずは、文田選手から東京オリンピックでの活躍について伺います。 やしろ:コロナ禍、世界的に大変な時期に東京オリンピックが1年の延期となりました。選手からすると調整期間もあり、大変ななかでの銀メダル獲得ということで、おめでとうございます! 文田:ありがとうございます。 やしろ:国内予選含めて長い期間だったと思いますが、延期になったことも含めていかがでしたか? 文田:僕はオリンピックの選手に内定した状態で1年延期が決まったので、モチベーションがない状態で1年延びた状況だったので大変でした。 やしろ:1年後の夏に延期と決まったとき、そこに向けてもう一度気持ちを高めていくのか、それとも数ヵ月はリラックスした状態で過ごして残り何ヵ月かで気持ちを高めるといったような戦略はあったのでしょうか? 文田:当時はオリンピック初出場だったのと、コーチも1年延期は経験がなかったんですね。しかも(コロナ禍で)コンタクト競技はしてはいけない練習環境だったのもあり、どこまで落としていいのか、どこから上げたらいいのか全然わからなかったです。 やしろ:コロナ禍で競技によっては練習もやりようがなかったんですね。データもマニュアルもないなか2021年のオリンピックで銀メダルはすごいです。振り返ってみて、銀メダル獲得はどのようなお気持ちでしたか? 文田:銀メダルを獲得した瞬間から今も“悔しい”メダルです。2020年のオリンピックで金メダルをとるという目標を立ててレスリングに取り組んできていたので、今でもまだ残念な気持ちのままですね。 やしろ:自分のなかで考える一番の敗因は何だったのでしょうか? 文田:僕はグレコローマンスタイルで投げが得意技なんですが、見ていてわかりやすいですし、自分も投げ技が好きなんですね。投げで魅力を伝えたいし、投げが自分のレスリングだと鼓舞させながらずっと競技してきました。 東京オリンピックでも自分の投げを見てもらいたいと思って挑んだんですけど、決勝で徹底的にマークされてしまったんですね。投げを一度もできずに終わってしまったのですが、こだわるところとそうじゃないところの分別というか、目的と手段が混ざってしまっていたのかなと思います。