レディース暴走族のトップで覚醒剤の売人だった女性は、改心し「みんなの母親」目指す(上) 何度裏切られても、刑務所や少年院を出た社員を雇い続け…
中学時代から暴力団と関わり、18歳で女暴走族の総長に。酒、薬物、リンチ…。多くの人間を傷つけ、都合6年半の服役を経験した。獄中出産を機に更生しようとしても、仕事はなかなか長続きしなかった。 【写真】木曜日を除いて毎日、刑務所の前で「出待ち」を続ける男性、何をしている? 「やめられない」同行して分かった理由
そんな札付きの悪女だった広瀬伸恵さん(46)は現在、栃木県栃木市で建設会社「大伸ワークサポート」を興し、社員約40人を抱える社長だ。特色は、多くの元受刑者を社員として迎えていること。 「みんなの母ちゃんになりたい。居場所があれば、人は更生できる」 そう語り、居場所づくりに精を出す。しかし、活動は一筋縄ではいかなかった。 (共同通信=鷺森葵) ▽父は仕事人、母は遊び人 広瀬さんは1978年、栃木市に生まれた。両親はけんかばかり。父は仕事、母は外出ばかりしていたと振り返る。 「お金はあったけど、心は貧しかった。家族でご飯を食べるって言うのが、まずなかった。普通の家庭環境がうらやましかった。愛がないっていうか。夜は独りぼっちが多かった」 中学生の時に両親が離婚。寂しさを紛らわすように、夜な夜な遊びに出かけ、悪友と付き合い始めた。そこからの転落は早い。たばこ、シンナー、やくざとの交際…。家は悪友のたまり場になり、歯止めが利かなくなっていった。
もちろん、家庭環境を言い訳にはできない。姉は苦しさを勉強へ向け、大学を卒業し、働いている。 ▽15歳で暴走族に 中学生で覚醒剤にも手を出した。13歳の時に18歳と偽り、コンパニオンとして住み込みで働いたこともある。 地元に悪名が響いていたからか、複数の暴走族から勧誘を受け、15歳で加入。18歳でチーム「魔罹啞(マリア)」を旗揚げした。 「魔罹啞」2代目総長だった奈々さん(43)は、広瀬さんをこう評する。「お姉ちゃんは、自分が一番じゃないと昔から駄目な人。人の下につくのが嫌」。チームは「栃木ナンバーワン」を目指した。広瀬さんは当時を振り返る。「刃物を常に持っていた。カッターとかサバイバルナイフ。負けるくらいなら刺せって勢い」 チームは60人ほどの規模に膨れ上がった。メンバーが「おきて」を破ると、「シメ会」と呼ぶリンチが行われた。「男遊びをしたとか、連絡を返さないとか、逃げたとか、集会に参加しないとか」。結婚か妊娠以外ではチームを抜けさせなかった。