中学で144キロ 作新学院右腕の意外な経歴 19年侍ジャパンが影響
中学時代に軟式球で144キロをマークした話題の投手がいる。18日開幕の第95回記念選抜高校野球大会に出場する作新学院(栃木)で、最速147キロを誇る右腕・小川哲平投手(2年)だ。中学時代、有望選手が集まるシニアやボーイズなどの「硬式」ではなく、あえて「軟式」を選んだ。その理由は意外にも「侍ジャパン」だった。 身長183センチ、体重92キロ。がっちりとした体格から繰り出す力のある直球に魅力が詰まっている。小川投手が140キロを初めて超えたのは中学2年の秋だった。 「栃木県選抜チームの一員だった時にバックネット裏で測ってくれたスピードガンで144キロが出ました。球種はほぼ真っすぐとカーブ。チームのために勝とうと思って投げたら出ました」 硬式球はコルクの芯に毛糸などを巻き付けた内部構造だが、軟式球はゴム製で内部は空洞になっている。硬式球よりも軟らかく変形しやすい。最近は硬式球に重さや硬さが近づいて変形しにくくなっているが、球速は出にくいとされる。小川投手はその「軽さ」を逆手にとって球速アップに生かした。 「軟式球は力を入れて投げても軽いから抜けてしまって球速が出ない。柔らかく握り、最後に(手首で)スナップを利かせるようにしていました」。他の選手よりもパワーがあった小川投手だが、無駄な力を入れず、うまくボールに力を伝えるすべを身につけたことで、球速向上につながった。 小学校卒業時で身長は174センチ、中学校で180センチを超え、体格に恵まれていた。中学で硬式野球の道に進まなかったのはなぜか。 「中学でボーイズのチームに行くか迷ったことも正直ありました。悩んでいた時に当時の(トップの)日本代表投手に軟式出身が多いと聞き、将来性があると思って選びました」 当時の日本代表というのは、2019年11月のプレミア12に出場した「侍ジャパン」だ。今永昇太投手(DeNA)、右肩の違和感で出場辞退したものの当初は選出された千賀滉大投手(メッツ)ら多くが中学時代に軟式野球を経験していた。今永投手は150キロ超の直球を持つ左腕で、開催中のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のメンバーにも入った。千賀投手はソフトバンクに在籍した昨季に自己最速の164キロをマークし、今季から米大リーグに移籍した。 小川投手は栃木県の日光市立落合中で野球をしていたが、部員は十数人しかいなかった。「ボーイズだと人数も多くてやれることも限られるし、硬式を早く扱うことで肩肘に負担もかかる。自分なりに投球を分析し、トレーニングも考えながら練習ができました」。中学1年から下半身強化だけではなく、股関節周りを中心とした柔軟性も意識することで可動域が広がり、球速アップに生かされた。 高校に入って縫い目のある硬式球に触れ、「指に掛かる投げやすさを実感した」という。入学直後の1年春、夏とベンチ入りし、昨秋の栃木大会で最速を147キロまで伸ばした。 ただ、球が速くなれば結果がついてくるわけではない。昨秋の関東大会2回戦の専大松戸(千葉)戦。先発に抜てきされたが、三回途中1失点でマウンドを降り、チームも敗れた。 小針崇宏監督(39)は「下半身の使い方や体力を含めてもう少し身についてこないと、硬式に変えて球速は出てもなかなか安定しない」と指摘する。小川投手も「上半身と下半身の連動の部分などフォームもまだまだです」と悔しさを持ち帰った。 実は中学で軟式を選んだ理由は、もう一つあった。「お母さんが仕事しながら一人で育ててくれた。ボーイズに行けば親も手伝いで忙しくなるから」。高校進学の際は県外の甲子園出場経験がある強豪校に進む選択肢もあったが、「お母さんがいなければここまで野球はできていない。お母さんに見に来てもらえやすいところを選びました」と栃木県内に残った。 背番号「10」で臨むセンバツ。「小さい頃からの夢なので本当に楽しみです」。マウンドでは母への感謝を込め、最高の晴れ姿を見せるつもりだ。【浅妻博之】