「丸ごと一冊高田文夫」が増刷 捨てたもんじゃない紙媒体の力 宮藤官九郎との対談では「パンツを下げたコント」の話も
【花田紀凱 天下の暴論プラス】 高田文夫さんの父上は国際文化情報社という出版社の経営者だった。 高田さんが30代の頃、仕事が忙しくてほとんど家にいなかった。 で、夏休みになると、高田さんの父上、つまり、おじいちゃんが、高田さんの長男文太さんと、姉の子、2人を旅行に連れて行ってくれた。北海道とか鳥取砂丘とか。まるで助さん格さんを連れた黄門さんみたいだった。 「それは楽しいんですけど、宿に帰るとすぐにその日の思い出を俳句にしろ、と。それと、いちばんいいと思った景色の絵を描けと。 それが出来上がらないと、風呂にも入れないし、夕飯も食べられない。あれは、辛かった」 長男高田文太さん(日刊スポーツ記者、相撲担当)が語る、わが父高田文夫。 「弟が生まれた時も、母親が陣痛が来て唸っていたから、ぼくが救急車を手配したんですよ。来た人を、『こっちです』って案内したりしてね」 久しぶりに増刊号を編集した。 「丸ごと一冊高田文夫」。 オールカラーの豪華版で、売れ行き好調、すぐに増刷した。今どき雑誌の増刷なんて滅多(めった)にない。 そもそもは、ニッポン放送、お昼の高田さんの番組「ラジオビバリー昼ズ」が35周年。「本、出して」と高田さんに言われたのがキッカケ。 しかし、今や「お笑い界のドン」と言うべき高田さん。 「なら、雑誌の増刊という形にした方が面白いですよ」 そう提案して出来上がった1冊だ。 冒頭に紹介したのは長男文太さんの親子対談だが、今をときめく宮藤官九郎さんとの対談ではこんな話も。 1987年、高田さんが仙台で番組を始めた。 その素人参加コーナーに毎週のようにやってきて、出演してたのが高校生の宮藤さん。 「いつもコントのオチで、パンツを下げてチンチンを出してたんだよ。それで、俺が『いいかい、テレビでオチンチンは出しちゃ駄目なんだよ』って教えてたの」 編集していて、とても楽しかった。楽しいとアイデアも次々と湧いてくる。