【田原総一朗が問う】宮崎哲弥が「日本人の語彙力を再建したい」と考える深い理由、日本語はGHQにより消滅の危機にさらされていた!
● 絵本『100万回生きたねこ』は 現代の仏教説話だ! 宮崎 日本仏教で問題なのは、先ほども述べたように「一体何のために悟るのか」「何のために往生するのか」がわからくなってきている点でしょうね。 その点、浄土真宗の現世否定は正統的です。「現世が苦に満ちているから往生を願う」ということですね。 親鸞は『歎異抄(たんにしょう)』という書で、「煩悩具足の凡夫(ぼんぶ)、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに……」と述べています。私たち「煩悩具足の凡夫」が生きている無常なるこの世界は、すべて「そらごと」「たわごと」ばかりで、真実などありはしないという意味です。 これは、「一切皆苦(生きていることはすべて苦である)」という、初期仏教の現世についての認識に極めて近い。この境涯(きょうがい)から離れて脱することが、悟りであり、往生である、というわけです。 仏教に関連して、今、私が興味深いと思っているのは、佐野洋子さんのベストセラー絵本、『100万回生きたねこ』(講談社、1977年)です。 田原 どういう絵本ですか。 宮崎 オスの「とらねこ」が主人公のお話ですが、この猫が100万回も輪廻転生を遂げたというのです。 そしてすべての生が不快で仕方ない。生が不快なので、死ぬことも平気、と嘯(うそぶ)く。やがて「とらねこ」は、100万と1回目に転機を迎えて「解脱」します。「ねこは もう けっして 生きかえりませんでした」で物語は終わります。 もう半世紀近く前に出版された本ですが、いまでは120刷に及び、なお版を重ねていて、国内の累計発行部数は200万部を優に超えています。この勢いは海外にも波及し、中国、台湾、韓国、タイ、ベトナム、フランスなどで翻訳が出され、各国で読者を得ています。とくに中国では、2004年に訳書が上梓(じょうし)され、発売当初はまったく売れなかったようですが、やがて人気が高まり、いまや250万部のミリオンセラーになっているそうです。 「ねこは もう けっして 生きかえりませんでした」という最後の一節は、初期経典の「希有未曾有経(きうみぞうきょう)」にみえるブッダの言葉、「これが最後の生まれであり、もはや二度と生まれることはない」に酷似しています。この経のほかにも、悟った者に後生(ごしょう)はない、つまり、生まれ変わりはないと説くものは数多くあります。 私は、仏教とは本来、「個の救済」を目指す宗教だと思っています。しかし、そのためにはまず個人が確立していて、その個たることの苦しみを自覚できなければ救いようがない。この絵本が発売された1977年、日本でも共同体から自立した「個の意識」に目覚める人々がそこここに出はじめていたのではないか。そして、個の苦しみもまたそれと同時に発生した。それがこの絵本が、子どもよりも大人によく読まれた要因ではないかと思うのです。 おそらく、作者の佐野洋子さんは、熱心な仏教徒ではなかっただろうと思いますし、まして初期仏教になど関心はなかったかもしれません。でも、不思議にも、現代の仏教説話ともいうべきお話を物(もの)した。そして、それが広く受け入れられた。この点が私の興味を引くのです。 田原 なるほど。日本の仏教のほとんどが、今や、悟りを必要としなくなっている中で、本来の仏教のあり方が、宗教とは関係のない文脈で受け継がれている。 宮崎 はい。その通りです。日本仏教の各宗門も、そこを踏まえて、少しだけ「ブッダに還って」みてはどうでしょうか。 田原 『上級語彙』も『仏教論争』も、宮崎さんがお持ちの問題意識は、平易・平明であることを強いる現代の風潮を疑い、深層を深く抉(えぐ)るものですね。さらに論考を深められることを楽しみにしています。
田原総一朗
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