與真司郎が体験した東京レインボープライド──「自分らしくいられると、人生が本当に楽しくなる」
「もっともっと可視化して声を届けないといけない」 そもそも全世界で行われているLGBTQ+プライド週間/月間は、ゲイプライドとして1969年に始まったムーブメントだ。69年6月、NY。グリニッジ・ヴィレッジにあるゲイバー、ストーンウォール・インに警察の不当な手入れが入ったことをきっかけにして起きたLGBTQ+コミュニティの抗議活動「ストーンウォールの反乱」。これをきっかけにプライド・ムーブメントは世界的に広がり、毎年6月をLGBTQ+の人権活動をはじめ、あらゆるマイノリティの平等を訴える社会運動を称える期間、プライドマンスとして知られるようになった。 日本では1994年8月に第一回となる「レズビアン&ゲイパレード」が開催され、96年で中断。2000年に「東京レズビアン&ゲイパレード2000」として再開し、中断や何度かの運営団体変更などがあり、2012年からNPO法人東京レインボープライド主催によるフェスティバルが開催されている。日本での開催は夏休みの8月でスタートしたものの、真夏の東京の酷暑などさまざまな理由から、より気候が良く集客の見込みのあるGWに移行。以降、定期的にパレードが開催されるようになった。6月以外のプライド期間を設けるのは、たとえばオーストラリアの「ゲイ・アンド・レズビアン・マルディ・グラ」は現地の真夏に当たる2~3月、アジアで最初に同性婚の法整備がされた台湾の「台湾LGBTプライドパレード」は台風シーズンが終わった10月最終週末などなど。プライドマンスにイベントを開催していない国や地域は日本の他にも多数ある。 東京におけるプライドイベントの開催は、今年はスタートからちょうど30周年にあたる(中断期間を含め)。そのため、それを記念したフロートがパレード出走するほか、全国各地で開催されているプライドとの連帯をアピールしたブースが設営されるなど、今回のTRPはいわば日本におけるLGBTQ+プライドの節目にあたる年となった。 「アメリカをはじめとする欧米は、6月のプライドマンスに各地でイベントが開催されるそうですが、今日の東京のように時期が違う国もありますよね。今年の6月はツアーを予定しているので、欧米のプライドは参加できないんですが、今日の経験を経て、他の国での状況を直に見たい気持ちが強まりました。 というのも、僕がイメージしていたパレードは、当事者だけでなくパレードを見に来る人たち、アライの人たちが一丸となって、盛り上がっている画。だけど、今日のは想像と違った。特にパレードの真横の歩道にいる人達が、我関せずという雰囲気の人も多かったように思いました。冷たい目で見ている、ということではないんですが、たまたま通りがかっただけで知らない、だから自分には関係ない、と思っているんじゃないかなと少し感じてしまいました。そこが僕が暮らしているLAとはプライドへの捉え方が全く違うな、と正直思ってしまいました。でも、この違和感を体感できたことで、日本の現状を把握できたと思っています。これだけの大きなイベントを仕掛けたとしても、結局は少数派、マイノリティなわけだから、声が少ない。圧倒的に少ない。しかも、その当事者の人たちの中で、カミングアウトしていない、できない人たちが圧倒的多数というのが日本の現状なわけだから、もっともっと可視化して声を届けないといけないんだと思いました」 可視化、顕在化。これはTRPでは初期から叫ばれ続けてきたことだ。その一方で、当事者の中にも「充分幸せに生きているからそっとしておいてほしい」「目立たないでほしい」という声が聞かれるのも常。だが、考えてみてほしい。30年前と今では、LGBTQ+の当事者意識とそれを取り巻く環境が格段に違うのは明らか。それはなぜか。この30年の間、與をはじめとする著名人がカミングアウトしたり、当事者やアライの人たちの活動によって、誰のそばにもマイノリティの当事者がいて、彼らは正しく認知されないことに対して怒り、苦しんでいることが広く知られるようになってきたからだ。自分のセクシュアリティがバレるから、と守りに入る気持ちは重々理解できる。今のままだったらそれなりの幸せがあるからだ。だが、與が常々言う「健全なメンタルヘルス(精神状態)は、ありのままの自分でいることによって得られる」ものなのだから、オープンに生きられることこそが、当事者にとってだけでなく社会にとってもよいことであり、前進しなければならないことなのだ。 「なかなか増えないんですよね……性的マイノリティの著名人のカミングアウトは。多分、事務所の社内政治や媒体側の問題があるから、できる限りリスクを取りたくないんだと思います。それも分からないではないんですが、自分の名前を出して仕事している著名人こそ、どんどん明らかにすることによって、社会は確実に変わっていくし、アライの人たちも確実に増える。なにより当事者の声にまさるものはないのはわかっていることだけど今は難しいから、まずはテルマや僕のスタッフのみんなのような人たちが声を上げてくれるだけでも全然違う。今はアライの人たちの力を借りるしかないですよね。その点、今日のTRPではアライの人たちの多さが際立っていたことはホッとしたことの一つです」 彼がファンイベントでカミングアウトをする前、昨年の今ごろまでは全く想像もつかなかった景色だろう。一つの素直な発言が自らを変え、そして人をも動かすことになろうとは。 「LAで暮らしているとオープンにしていないほうが少ない位の感覚になってしまい、つい比べてしまうのもよくないのですが、僕が自分らしく生活したり仕事をできているのは、アメリカでその価値観を知ったからです。LGBTQ+のことを学び、恋愛を経験し、信頼できる友人ができ、苦しみから解放された。だったら、日本でも自分に正直に生きやすい環境に近づくためには何ができるのか、と考えたわけです。自分は表に立つ仕事をしているから、いつバレるかビクビクしながら生きていました。だからカミングアウトをしたんです。それで嫌われたら、もうアメリカに住んでしまおう、という道も作った上で。 でも、日本でしか暮らせない人のほうが圧倒的多数だし、その人達が逃げ場なく、そして同じ苦しみを抱えているならば、僕が言うしかない。だって、その苦しみを知ってるのだから。それを自分の責務として負うのは違うかな、と思うから、アクティビストにはなれない。けど、できることはしていきたい。たとえば、全国の学校や企業を回ってお話をするとか。しゃべることは大好きですし、音楽だけじゃない何かしらの発信もできたらいいと思っています」