輸血は今-日没、悪天候で島外搬送困難に 「死ぬのを待つしか」
2022年6月5日、鹿児島県徳之島の平穏な梅雨時期の日曜日だった。午後5時ごろ、天城町の中村由加里さん(50)のもとへ知人から1本の電話が入った。 「シンが(闘牛に)刺された」 闘牛の牛主をしている弟の前田信一郎さん(47)が、電柱にくくりつけられた牛のそばで倒れているという。「えっ。まさか」。嫌な予感がして大急ぎで搬送先の病院に向かった。 地元の住民によると、徳之島では人が闘牛の角に刺されて負傷する事故がたびたび発生。大量出血で即死する事例もある。 その日の夕方、信一郎さんは自分の牛小屋で預かっていた友人の牛を散歩させていた。道中、その牛に腹部を刺されたらしい。信一郎さんは気丈にも牛を電柱に固定し、その場に倒れ込んだとみられる。普段誰もいない場所に牛がつながれているのを不審に思った友人が信一郎さんを見つけた。 損傷が激しい。救急車内のわずかな振動が信一郎さんを痛みで苦しめ、腹からは内臓がこぼれ落ちそうになる。徳之島町内の病院までの搬送所要時間は普段は30分ほどだが、この日は運転に慎重さを強いられ、1時間もかかった。 午後6時。病院に信一郎さんの妹(45)と、父(75)、母(72)も駆け付けた。「すぐに(島外へ)救急搬送を」と病院に訴えるが、日没後のためドクターヘリでの搬送は無理。海上保安部の船も朝方にならないと到着できないという。午後9時。祈る思いで自衛隊機の到着を待っていた中村さんたち家族に告げられたのは「那覇が雨で自衛隊機が飛べない」という返事だった。 「生きている本人を前に、私たちは死ぬのを待たないといけないのか。悪天候とはいえ何のための緊急ヘリなのか。これが離島の宿命か」。怒りに震えた。 関係機関の尽力で6日午前0時、海保のジェット機が徳之島空港に到着。奄美大島への搬送がかなうとあり、深夜にもかかわらず空港には信一郎さんの友人が40人近く集まった。ジェット機の爆音に負けじと声を張り上げる。「シンー!頑張れよー!」「待ってるからよー」 × × 奄美空港で待機していた県立大島病院の医師が、同乗してきた中村さんに「病院までもつかわからない」と告げる。病院到着後すぐに手術が始まった。腸を80センチ切除、出血部位を洗い流し、数十人からの生血輸血を受け、手術が終わったのは朝6時だった。 「きょう、あすがヤマ場です」。医師にそう告げられた数時間後、前田さんが目を開けた。複数回の手術と大量の生血輸血を受け、容体が落ち着いた信一郎さんは鹿児島市内の高次医療機関へ運ばれた。 × × そこから始まった奇跡の日々。信一郎さんは事故から49日間、生き続けた。病院には国内外から多くの仲間が訪れ、信一郎さんに語り掛けながら、同じ時を過ごした。 家では無口でも外では社交的で、近所の子どもたちからも「シン」と呼ばれ愛された。享年47歳。葬儀には子どもから高齢者まで大勢の島民が集まった。「マルシン荒鷲」と名付けてかわいがって育てた信一郎さんの闘牛も葬儀場に連れてこられ、出棺を見送った。飼い主との別れが分かったのか涙を流し、鳴いた。 県立大島病院での入院中、奄美市名瀬では、大勢の供血ボランティアが行われていた。中村さんら遺族は「奄美の人たちのおかげで49日間があった。血液が無ければ手術にも対応できない。血液の備蓄は大事」と話す。 「一人ひとりにお礼を言うこともできないけれど、どうか感謝の気持ちを伝えてください」 =年齢は当時= ◆ ◆ ◆ 生命の危機に際して行われる輸血。他に代えがない救命の命綱だ。一人の妊婦を救おうと輸血用血液製剤を搬送した自衛隊機が奄美大島のらんかん山に墜落して62年がたった。奄美群島の血液供給体制の現状はどうなっているのか。救命救急センターが設置されている県立大島病院の現場から現状をリポートする。
奄美の南海日日新聞