『MとΣ』で芥川賞候補になった謎の作家・内村薫風9年ぶりの小説とは? ドイツ出身の文筆家マライ・メントラインが語る(レビュー)
2014年に短編「パレード」でデビュー後、『MとΣ』で芥川賞の候補となった謎の作家・内村薫風さんによる9年ぶりの小説『ボートと鏡』(新潮社)が刊行された。 末期癌の宣告を受けた父が亡くなるまでの2ヶ月間を描いた「ボート」。虎の脱走事件や美術館で見たベラスケスの絵画のエピソードなどを、緊急待機中のF15パイロットが独白する「鏡」が収録された本作の読みどころとは? 日本カルチャーの評論からテレビ番組のコメンテーターまで幅広く活躍するドイツ出身のマライ・メントラインさんによる書評を紹介する。
マライ・メントライン・評「人の「納得感」の落としどころとは」
自らが遭遇した日常/非日常的なことどもについて、ナチュラルな深み観察&考察で消化しながら無自覚に世界構造の核心めいたものに思いを馳せる、そんな観念的な内容のわりに読みやすい小説であり、ということはつまり村上春樹やゲーテと親和性が高いよなぁ、と感じたりする。村上春樹とゲーテを別個に読んでも特に似ているとは感じないが、本作を読むとそういう感触が浮上してくる。そんな、良きおもしろき触媒小説でもある。 『ボートと鏡』はストーリー的には、「死」をめぐる内部的および外部的な状況について、いかに自らを納得させるか、納得できるのかを問う内容だ。一見無関係な内容の中篇からなる二部構成となっており、その納得感を「見つけたっぽい」的な第一部のあとに「見つけたい」的な第二部が配置される。より具体的にいえば、第一部「ボート」は【死ぬ】の話であり、第二部「鏡」は【殺す】の話となっている、その構成の妙が味わい深い。 そもそもの執筆の起点はおそらく、社会の電脳化に伴う情報過多・情報あふれ化そして極論化の流れというものに否応なく直面せざるを得ない人間存在ってこれからどうすんだよ? 的な気づきであるように思われるが、ネット云々という領域にダイレクトに焦点を合わせるのではなく、通時的・汎人間的な一般論をベースに思考が進んでゆくあたりがとてもよい。というのも本作に登場する人物たちは、語り手も含めて多かれ少なかれみなおそらくスマホ人間じみた存在であり、何らかの形で達観した人も含め、時空を超えて「無自覚に情報あふれした人間」どうしの関係性を描くような感触で話が進んでいくのだ。これはなかなか興味深く、そして意味深い。 それとの絡みも含んで大きな見どころといえるのが、絶妙なメタ小説・メタ世界テイストの導入である。本作では自己言及的かつ客観視的な「第二主観≒鏡」の設定が「世界を整理し、その中で生きる」ためのある種のカギとして描かれる。世界を相似性と入れ子構造の連鎖として捉えることによって情報循環のコアを絞り込む趣向であり、その一環として「ボート」の語り手が、いわゆるジェンダーポリコレ的な作劇作法(とチェックポイント観点)を現実のコミュニケーション場面に持ち込もうとする描写が実に面白い。現実事象への対処の最適化のために作劇作法を援用しているのか、あるいはフィクション文脈内部からの叫びなのか、最後まで判然としない点が良い。とても良い。そこには皮肉とか好き嫌いといった告発感情的な要素はなく、ただ力学的な仮説のみが存在する。 この仕掛けと味付けの目的は何なのか? 「ボート」も「鏡」も、最初はある問題事象についての「正解」あるいは「正解じみた姿勢」とは何かを追う雰囲気でスタートする。だが結局、絵に描いたような正解というのは存在しないっぽい。ではどこに行きつくのか? 蓋然性である。蓋然性への到達が納得感をもたらすのであり、おそらくそれ以上のことを期待すると、往々にして何らかの形で他者への暴力性が生成されてしまうのだ。 蓋然性への到達とは何か? 個人的な話だが、日本人の若い友人と「親との付き合い方」について議論していたときのこと。彼女の父親はわりと厳格系で、そして(私の解釈によると)次第に微妙にウヨくなったり、またウヨさと関係あるかどうかはわからないけどブラウザゲーム「艦これ」にハマったりしながら現在に至るらしい。美少女擬人化かよ! それってオールドタイプな人間から見ると、いかにも世代間ギャップじみた葛藤とか反抗とか嫌悪感が発生しそうなシチュエーションに見えてしまうが、さにあらず。彼女曰く「いやー、父親の、人間としての人生や体験や背景とかいろいろ踏まえた場合、こうなるのはまあ妥当なのだなと思い至るんで、それを踏まえてどう接するのがお互いにとってベストなのかを考えますね」とのこと。 なるほど。言われてみれば単純な話のようだが、実は深い。「ボート」の語り手が父親から得たサムシングを、私はZ世代の若者から得てしまったのだ。この両者には繋がりがある。というか「Z世代」という言葉もモノゴトの単純化を誘発していて良くないよな。彼らのうちのマジで賢い層の思考をみんな見なすぎだよ。しかしこういう境地を世代と無関係にオヤジに語らせる内村薫風、やはり只者ではないな! (笑) そう考えると、フィクションと現実にまたがって世に満ちる、作劇作法というものにおける「葛藤とか反抗とか嫌悪感」を一面的に煽る感覚こそが深くマズいんだろうなという気がしてくる。もし本作が何か強烈な告発を含むとすればそこだろう。皆、さりげなくそこだけスルーして「父親との心のつながり」とか「尊厳死の在り方」について集中的に言及しそうだけど、それは甘いんですよ。 [レビュアー]マライメントライン(ライター) 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
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